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真宗高田派久遠寺ブログ  『シュリハンダカ』

愛知県名古屋市中区にある真宗高田派久遠寺の日常をお伝えします!

 

お寺の掲示板 2/20 



今日は、朝からお月参り3件お参りして、寺でのご法事。
すぎに春日井まで移動しての還骨並びに初七日法要でした。

ご法事は、通常住職がお勤めしているのですが、
今回ばかりは住職も、お葬儀、ご法事と時間的にはキュンキュンだったそうで・・・・

上手くまとまってはいないですけれども、私なりのお話をさせていただきました。
今、ようやく肩に荷が下りている状態(笑)


掲示板も更新しています。

「一本の草さえ生きねばならぬ使命を持っている」


さて、皆様の使命とは?

僕自身は最近なんとなく見えてきた気がします。
まだまだ未熟ではありますが、なんとか軸がぶれずに進んでいるかな、と省み中(笑)


各々の人の使命。
その使命に従って、時にははむかって、歩んでいける人生でありたい。

どこにゴールを持って行くか。
いつもそんなことを考えています(笑)あまり考えてはいませんが(笑)


南无阿弥陀仏

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お寺の掲示板 1月14日掲載 



新年元旦が木曜日スタートだったので、今年の掲示板は水曜日更新。
頑張ります。

先週の法語は掲示したにもかかわらず、漏れてしまいました・・・・


今日から一週間は、
『人間は偉いものではない、尊いものです」安田里深

偉い人、世の中にはいっぱいおられます。
でも反対に偉くない人はもっとおられます。
何の価値基準なのでしょうか。
それは私たちが勝手に作り、互いに優劣をつけているだけのこと。

もっと大きい視野で、
私達人間はどの方も尊いのです。

なぜ尊いのか。
人間は生まれれば、死は必ずきます。
けれどもの生をうけることがままならい、思い通りにならない。

とても特別なこと。

今私たちはこうして生きていることが、特別、と思っているのでしょうか。
このように考えるより「当たり前」と感じているのではないでしょうか。

生まれる、生きる、ということはいのちがある。
このいのちを授かることで特別と感じ、さらには尊いと知らされるのだと思います。

今あることは特別り、尊いものと変化する。

南無阿弥陀仏

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お寺の掲示板 12/24掲載 



今年最後になるかもしれない掲示板法語。

今年、この気持ちをもっていろいろ頑張ってきました☆

「有難うの反対は当たり前。けれども当たり前こそ有難い」


今普通に過ごしている極当たり前なこと。これって実は当たり前じゃなくていろんな因があって縁がからまって今普通に現実として起こっていること。
なにげなしに観察していても変化は些少だけれども、こうあることは実は難しいのでは・・・

そう思った時に、こう今があることが当たり前ではなくなり、このことこそ有難いのではと感じるんです。

有難い・・・・いつもは日常起こることが無い、難しいことに対して「有り難い」と言います。
がこの判断は、ただの自己判断。

そういう判断を取り払った時に、今この瞬間のありとあらゆる事象が不思議なことでしかないんですね。
そう思ったら、今日までこの言葉を胸に前に進んで参りました。

ご飯食べれること
水が飲めること
歩けること
話せること
生きていること・・・・・

不思議なことが有り難い。当たり前ではないのだから。



南無阿弥陀仏

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お寺の掲示板 12/17掲載 



掲示板は更新しておりますが、こちらへの投稿が遅れてしまいます・・・(^^ゞ
今回、左側が用意できず、フリーな状態。
さて何のご案内をしようか只今迷い中でございます。

そこで今週(もう終わりましたが)の掲示板法語は、

「腹の立つときゃブツブツ申せ。ブツはブツでも南無阿弥陀仏」

リズムがいいお言葉(笑)
けれども、腹が立つことを抑える為にお念仏申すわけではありません。治まるかもしれませんが・・・(^^ゞ


腹が立つ・・・煩悩の瞋恚のこころ(憎しみやイラダチ)であります。
この瞋恚のこころをもっている私。
その私がお念仏を称えることで、煩悩具足であることを知らしめられるんですね。

煩悩まみれ、なんて微塵も思っていない私がおります。
仏さまのはたらきによって照らしだされている私がおります。
けれどもまったく気づいていない私がおります。

私にはこの瞋恚のこころがある、と気付いた時、それは仏さまのお光に照らしだされた瞬間。
それは、本当の自分に初めて気付くことができる瞬間。

照らしだしてくれた仏様のはたらきこそ、南無阿弥陀仏。


シャレっぽいお言葉ですが、リズムもいいですし、忘れない。

実際にイライラしちゃったり、腹が立ったら、我が身にこのお言葉を問いかけて試してみてくださいね☆



南無阿弥陀仏



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お寺の掲示板 12/8掲載 



バカボンのパパが言った

「これでいいのだ」



こんな言葉を掲示してしまいました(笑)
今自分の周りにあるものを明らかにして満足している言葉。

自己満足、自分が主体となっての言葉であるけれども、その裏にはある事が難い、有り難い縁に恵まれていることを感じているのではないかと思うのです。

その有難いご縁とは、「おかげさま」

おかげさまのおはたらきによって「これでいいのだ」と思える。

でもそれ以前に

「それでいいのだ、そのままでいいのだ」

とおこえを掛けられているわたしたちがいる。
そのおはたらきに気付かされて、感謝し、お任せして、

「これでいいのだ」

僕は、そのように捉えて今週お味わいしたいと思います。



南无阿弥陀仏

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お寺の掲示板 12/1掲載 



今週の掲示板です。

「奪い合えば足らぬ、分け合えば余る」


少欲知足ですね。
余りにもストレートなお言葉、そして私達日本人がもとよりもっているこころ。
分け合う気持ち。

これからも大切にしていきたいですね。



南無阿弥陀仏

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お寺の掲示板 11/24掲載 



一週間は早いです(笑)

掲示板を更新しました。


仏教では、迷いや苦しみのことを「煩悩」と言います。
さらに細かく言うと
煩悩は三つの毒=三毒というものからできているんです。
一つ目は、貪欲という欲張りな心、
二つ目は、瞋恚という怒りや憎しみの心、
三つ目は、愚痴という物事を正しく判断できずに自分を正当化しようとする心
皆さん身に覚えがある事ばかりではないでしょうか(笑)

「錆は鉄より出でて鉄を腐らせ、愚痴は人より出でて人を亡ぼす」

愚痴愚痴愚痴愚痴言っている人、そばに居ても楽しくないですよね。
自分自身を見失ってしまうんです、愚痴は。
そんな姿を、鉄と錆に例えて表現して下さった法語。

話を戻しますと、貪欲瞋恚愚痴、この三つが煩悩の代表格でありますが、よく除夜の鐘を打つのに、煩悩の数だけ鐘をうつ、と言いますよね。
その煩悩確か108かな、って思うのですが、お経様に伝わる本当の煩悩の数は84000あるとも言われています(笑)
この数聞いたら、そりゃ生きていく上で悩みや苦しみは消えないわ、て思っちゃいますよね・・・・。

かいつまんで言ってしまうと、これくらい迷い、苦しみながら生きている私たちであると言う事です。もっと言ってしまえば、迷っている事さえ気付かずに生きているわけです。

こんな言葉があるんです。
「煩悩は無くすことはできないけれども、煩悩と知ることはできる」

煩悩を知ることで本当の幸せ、とは何かと思うんです。

迷いや苦しみがある状態は、心がフワフワしている状態、コロコロしている状態。
けれども本当の幸せとは、こんな気持ちが無くて、心がほっとしている状態のこと。

わたしたちの言葉で、安心。
仏教では「あんじん」と言います。
心のコロコロがちゃんと落ち着いておいておける場所がある、ということ。安置する、ていいますよね。その「安」の意味です。

仏教とは、煩悩によって心がコロコロしている状態に気付き、心をちゃんと置いておける場所を見つける教えのことです。その教えはいろんな教えが一杯あります。けれども、すべては「安心」するためのこと。

安心できることこそ、本当の幸せ。
その道を指示して下さっているのが、仏教であります。

お導きに遇い、気付いていない我が身のことに気付いて参りましょう。


南無阿弥陀仏

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お寺の掲示板 11/17掲載 

今週の掲示板です。




榎本栄一さん

明治36年10月兵庫県淡路島生まれ、94歳でご往生。 
念仏詩人といわれ、60歳を過ぎてから浄土真宗の信心の目に映る風光を詩に託して表現された人であります。

さてこの法語をどう味わうのか。
どのお言葉もそうですが、それぞれの方の言葉の出会い方が違うのと思います。

しくじるとは失敗の事。
失敗する度に今まで気付かなかったことに気付いて、
新しい気付きによって視野が広がっていく

そんなことのように捉えております。

失敗は成功のもと。
禍を転じて福と為す
七転び八起き
失敗は成功の母

同義でこうな言葉もあるかな、と。

この久遠寺の周りを通る方々は、ビジネスマンがやっぱり多いと思っております。
そんな方々がこの言葉を受けてどう思ってくださるのか。

ちょっぴり気になります。

寺として掲示板に掲載する意図があるとすれば先ほどの意味にとっていただくのも然り。
その中で、私という我が通らず、固い固い我がぽっきり折れた時、初めて柔軟なることを教えによって教えられる。
そんな時に私が、私が、の世界がいかに狭かった、ということを気付かされる。

そんなことがやんわりでも伝われば嬉しく思います。


今週も達成。週替わり掲示板(笑)



南無阿弥陀仏

                      


 

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お寺の掲示板 11/10掲載 

こちらに投稿するのが、まったく追いついていない掲示板です。
まずは今週掲示した言葉。



『「いざというときには」と言う人がある 力一杯生きるのは今なのに、、、』  毎田周一

備えていても未来はほんの些細なことでどんどん予想とは違う方向へ変化していってしまいます。
その準備にどれだけの時間を費やすのか、でなければ、今この瞬間に全力を傾けるのか、そんなことが問われている気がします。
仏教でも「今現在説法」と「今ここで」が大切と説かれています。

その「今」を皆様はどのように過ごしていますか?
と我が身に問いかけてみましょう。


そしてこちらが先週の掲示板↓



「家庭そのものが目覚めていく道場である」 足利浄圓

真宗は特別、修行ということをしません。そもそも修行とはある一定期間に普段とは違う特別な行を積むことを指しております。真宗の特別な点は、その一定期間が「人生」という期間に当てはめられている事。

つまり、

毎日が修行なんです。

その修行すべき主たる場所こそ、「家庭」ではないでしょうか。
宗祖親鸞聖人も結婚し、子供を設け、非僧非俗として人生の荒波に向かわれた方でした。

人生を歩むことで、あらゆる苦難に立ち向かっていかねばならない、そんな場所で我が身を内省し、すべてお任せすることができる心構えを毎日毎日勤めていく事が真宗僧侶として大切なこととも思います。

それはお檀家様も一緒のこと。同じ人間としてどのように人生を見つめるか。
本当の幸せとは何か、に気づくことができる仏様の教えに出遇うことがまず第一歩なのでありましょう。

そんなスタート地点を教えて下さるお言葉。
大切にお味わいくだされば、と思います。


南无阿弥陀仏

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平成26年9月15日掲載 



もう日曜日なのに今更月曜日に掲載した掲示板のアップです・・・・(-_-;)

「私たちは意外と私以外の者になりたがる」

誰の言葉かはわかりませんが、僕自身「あっそうだなぁ」と妙に頷いてしまったお言葉です。
皆様は如何でしょうか?

私の目は外に向いてついているので、私をみることなく私以外の人を常に目で追っています。
けれども、実は目で追っている人になれるわけでもなく、
わたしにも目もくれない。

それでは、あまりにもさみしいですよね?

ここは、我が身の内に目を向けてみてはいかがでしょうか?

仏教は心の鏡とも言われます。聴聞すればこそ、見えてくる我が心。見つめてみましょうね(*^_^*)


ちなみに明日、月曜日からは当山報恩講が近づいて参りましたので、掲示板への法語掲載は一旦お休みさせていただきます。そのかわり報恩講のご案内を掲示し、報恩講へのまた道程を掲載していきますね!



南無阿弥陀仏

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