他力には義なきを義とす

一応、毎月お参りがありますので・・・・『御書』も毎月いろいろと変更しながら拝読しております。
今月は【堯真上人御書(ぎょうしんしょうにんのごしょ)】
御書の二巻目・第十一通の部分です。
おおよそ専修門流にいりて安心決定する人は、如来とひとしと申すなり。
これすなわち真実信心を得るゆえなり。
真実信心を得るものは、十方恒沙の諸仏もともに護念したもうなり。
されば悪鬼悪神をして、そのたよりを得せしめず、といえり。
他力信心を得たる人は、わが身は罪悪生死の凡夫なれども、こころはすでに往生成就のひとなり。
さて聖人の御文に「他力には義なきを義とす」とのたまえり。
義と申すことは、行者のおのおのはからわせたもうを義と申すなり。
如来の誓願は不可思議にましますがゆえに、佛と佛との御はからいなり。
凡夫のはからいにはあらずといえり。
いよいよ佛恩師恩をおもい、称名すべきものなり。
あなかしこ、あなかしこ。
どの部分も大切なのでしょうが、僕自身が抜粋でしてしまうとこんな感じ。
①高田派の御教えで安心決定する人は、如来様と同じ。
②他力信心を得れば、体は罪悪生死の凡夫であるが、こころはすでに往生成就の人=諸仏のお一人だ。
③他力は仏様のはからいであり、凡夫のはからいではない。
④以上を踏まえて、有難くただただお念仏しなさい
以上、4つ上げてみました。
意味なども大切ですが、まずは拝読していただくのが一番かと。
僕自身、読まれているのを聞くだけだと間違えて聞いてしまったり、違う漢字をはめてしまったり、聞き逃してしまったり、、、、、ちゃんと拝聴できれば何も問題はないんですけどね(-_-;)
目で見て読むことがいいのかどうかわかりませんが、、、、、、一度おあじわいください^m^
南無阿弥陀仏
Category: 御書
お勤めの最後に読むアレ
お勤めの最後に読むアレです(笑)

笑ったら怒られてしまいますが、この『御書』は尊ぶべき方々が書かれたお便り=書なので、「御」がついて『御書』なんですね。あと東西本願寺さんは蓮如上人一人が書かれた「御文」「御文章」ですかね。
僕はよくお通夜のお勤めが終わり最後に『御書』を拝読する時に、弔問の方々にこうお伝えします。
『これより浄土真宗を開かれた親鸞聖人、また高田派の歴代ご門主さまからのお手紙=『御書』を拝読させていただきます。お手持ちのお経様の本を閉じて、静かにお聞きください」と。
『御書』が拝読される際、頭を垂れるしぐさがあります。
作法として決まっていることなのかは知りませんが、有難いお言葉を頂戴する際に自然に「頭が垂れた」のでしょう。
ですから結果として頭を下げて、拝読させていただくのがいいかもしれません。
あと『御書』の数。
全部で七巻。+報恩講御書。+繙御書。・・・・・・・あってますかね?ちょっと自信なさげ(-_-;)
毎回、その場にあう『御書』を選んで拝読するそうです。
自分でいいながら、ハードルを上げた感がありますが、しょうがないですね(笑)
今後は、『御書』の内容にも少しずつ触れていきたいと思います。
南無阿弥陀仏
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