平成30年1月の法語

尊いとは、自分ひとりの力のことではありません。
生命の誕生よりひとりひとりの生ききったいのちこそ、
永遠に続いたいのちであります。
それは、私のものではなく与えられたが故に尊いのです。
老人は老人らしく、
若者は若者らしく、
与えられたいのちを「いかに生きるか」との
使命として生きねばなりません。
限りあるいのちを先祖から伝え教えられ、
限りない大きなはたらきで生かされています。
それを寿に生きてくださった方々の教えは尊く私の中で続いているのです。
南無阿弥陀佛
Category: 法語と名言
平成29年12月の法語

本物と偽物は、見えないところのあり方でわかります。
それなのに偽物に限って見えるところばかりが気になって、
飾り、ますます本当の偽物になっていく
東井義雄
自分にはわからないけれども、いつも願われている私であります。
いつも周囲ばかりを気にして生きている私に
本当のあり方を気づかせてくださるのが「お念仏」でありましょう
当寺住職
南無阿弥陀佛
Category: 法語と名言
水木しげるさん
今後の予定だったり、現状共有であったり・・・
今日はなぜか、「死ぬまでにしたい10のこと」ってある?との問いから。
今もし、いのちがついえる時、後悔せずとも「あーよかった、俺の人生」と満足して往ける?
そんな時に後悔しそうなことある?
とのこと(汗)
いつかは終えるいのちであるわかっていても、やっぱり唐突に言われるとそんなに出てくることではないですね(笑)
ここであれやこれや言うのも恥ずかしいのですが、わたしの答えの大方の軸は「ととのえて往きたい」でした(笑)
いろんなことです。今安心、のちも安心。そんなことを頭の中では考えているみたいです。
皆様も各々考えてみてくれたら面白いかもしれません。
で話のついでにでてきたのが水木しげるさんのことば。
ひとそれぞれに幸せの定義みたいなものはあるにしろ、やっぱり言葉にするのが難しい。明確に表せない。
そんな気がします。けれども「あーなるほど、自分はこう考えていた!!」と納得する言葉を選択してくれた、と思えたこのお言葉。人それぞれですが、また宗教観でみるとまた違った言葉になるとも思いますが、身近な言葉で綴ってくれていますので一読してくれたら嬉しいです。
自分なりの感想を一言述べるのであれば、「やりたくないことは無理にやることはない。自分にできないことは他人に任せておけばいい」という部分が結構自分も共感するところがあって私はなんにもできない人間と自覚しています、でもお人のお力をお借りしてこそ出来上がるものがあると頭で思っています。楽をしたいから、ではなく、得意なことは得意な人が。そんな思いがどこかにある気がします。
でもここで出てくるのはやっぱり楽をしているように見えてしまうのではないか、との気持ちや、なんとなく世の中は我慢しながら無理しながらことを進めている方が多くおられ、こんなあまーいことではいかんのだろうな、と考えさせられてしまうこともあるのが辛いところです。
自分がやるべきことをやる、やりたいことをやる。
できることをできるひとができるだけやる。
これくらいでいいのかなーてぼんやり思っています。
それだけでは進めない世の中があるのはわかっているつもりですが・・・・
私自身として決して「楽=苦労なし」は狙っていませんが、やっぱりどこかで「楽=安心」はしたいかな(笑)
とりあえずそんなところで・・・・
南無阿弥陀佛
以下、引用。
↓
入隊して問もなく、私は南方の島、ニューブリテン島のラバウルヘと送られることになりました。
腕を失って前線から後退した私は、島で暮らす人たちと仲良くなった。
彼らは朝起きると、主食であるバナナを採りにいく。そして昼問は涼しい家のなかでのんびりしている。客人が来れば心からもてなす。祭りの日にはみんなで歌い踊る。
ただそれだけの生活です。
彼らには義務のような仕事などありません。もしかしたら人生の目標なんていうものもないのかもしれない。それでも彼らは、とても満ち足りた表情をしていました。
彼らのなかには「幸せ」という言葉はありません。それでも彼らの村には「幸せ」の空気が充満しています。それは彼らの日常生活の中に、幸せが自然に組み込まれているからです。あえてこれが幸せですと取り出して確かめなくても、ほのぼのとした幸福感に包まれているんです。
「幸せ」なんていう言葉がないほうがいいと私は思います。そんな言葉があるから、人は「幸せ」を叫ぶのです。もっと幸せになりたいと叫ぶのです。
本当の幸せとは、叫んだからといって手に入るものでもない。
私は彼らの村に流れる幸せの空気を、日本に帰国してからも思い出しながら、暮らしてきました。
やりたくないことは無理にやることはない。自分にできないことは他人に任せておけばいい。
小さい頃から私はそう考えていました。
自分の好きなことをやる。
そのために人は生まれてきたのだと私は思っています。
やりがいだとか、充実感といった言葉をよく耳にしますが、結局は自分が好きなことにしか、そういうものは見つからないような気がします。やりたいことが見つからないと言う人がいますが、まずは自分が好きなことは何かを考えること。小さい頃に熱中したものを思い出すんです。ただし、好きだからといって成功するわけじゃない。いくら情熱を傾けて努力をしても報われない人はたくさんいます。努力は人を裏切るということも知っておくことです。それでも、好きなことに情熱を傾けている問は、きっと幸せの空気が漂っているものです。
私は自分が幸福だと思っています。
好きなことに情熱を注いで、人生を生き切ること。うまくいく時もあれば、うまくいかない時もある。そんな時に、あたふたと騒がないほうがいい。幸福だの不幸だのといちいち口に出さないほうがいい。人生にはいろんなことが起こって当たり前。それらに一喜一憂するのではなく、放っておくことです。人生をへたにいじくりまわしたところで、何の解決にもなりません。起きてしまった不幸はもうどうしようなもない。ならば自然の流れに身を委ねてしまったほうがいい。しょせん人問の力ではどうしようもないこともあるものです。
ラバウルの人たちは実にわかりやすい人生を送っています。神様から与えられた人生を決していじくり回したりしません。だから、幸せの空気に包まれているのでしょう。」
(水木しげる「人生を、いじくり回してはいけない」2005年)
Category: 法語と名言
平成29年10月の言葉

自然のはたらきに逆らわずに生きている動植物は自然に任せて
ただ事実に生きています。
けれども同じように人間も限りあるいのちを与えらていますが、
自分の都合と自分の思いを満たさんがために、
だからこそ事実を受け入れることが難しく苦悩しています。
「らしく」生きられないのです。
動植物の「らしく」生きている姿に今一度、
学ばねばならないのでありましょう。
よって拝まれる人が拝む心の中に生きているのでありましょう。
合掌
当寺住職
Category: 法語と名言
平成29年8月の言葉

六月の雨解説と同様、
宇宙の神秘なるはたらきによって、
夜の星も日中の太陽も、
夜の暗闇も全て、
私の思いを超えた大きなはたらきによってあります。
豊かさと便利さのみで生きているのではなく、
人間を生かしてくれる大自然の恩恵に気づかねばなりません。
一度暗黒になったと想像してみましょう。
小さな光がすべてを照らす教えの要となるに違いありません。
当寺住職 合掌
Category: 法語と名言
ほのぼのカレンダー7月

雨の日は人間の都合で考えれば、
嫌いな日も好きになったりもします。
暑い日寒い日も同様であります。
私たちではどうすることもできない
自然界の大きな働きの中で恵みをもたらされています。
全ての事実と辛いことも受けていけるところに
きっと教えがあるのでしょう(=他力)
人間の都合で生きていることは自力であり、
いろいろな出来事をおかげさまと受け取れるのが教えでありましょう。
合掌 当寺住職
南無阿弥陀佛
Category: 法語と名言
平成29年6月の言葉

政治の討論会を聞いていますと、弱点の突き合いで、相手を攻撃し自分の意見を認めさせようとします。
けれども、答える方も核心には触れず、いろんな言葉を使ってのらりくらりとはっきりしません。
非があれば自分の非を認め、どのようにしたいのかを語り合い聞いて正しい道を探したいものです。
聞く耳を持つことによって自分も誤りがあったことに気づかされ、
互いにまず聞こうと言う心に自然に本当のことが聞こえてくるようになるのではないでしょうか。
当寺住職
南無阿弥陀佛
Category: 法語と名言
平成29年5月の法語

全盲の子が
「見えたらお母ちゃんの顔が見たいわ。もし見えたらあれも見たい、これも見たい、と気が散ってダメになってしまうかもしれん。見えなくてもどう言うこともあらへん。見えんのは不自由だけど、不幸とは思われへん。不自由と不幸は違うやね」と。
辛いが現実の事実を受け入れることが大切であります。
自分の思い通りに行くことが幸せと感じ、思い通りに行かないことを不幸と感じている私に自分で生きているのではなく、あらゆる縁によって今生かされていることに感謝しましょう。
合掌 当寺住職
Category: 法語と名言
平成29年4月の言葉

境内で草取りをしていますと、小さな草ほどしっかりとした根を張っています。
外からは見えないところで強く生きています。
竹林も地面で繋がって地震の時には竹林へ逃げろ、と言うことを耳にしました。
人間も小さい頃から、気づかない見えないところで多くの人たちの助けや願いでここまで生きてこれたのです。
一人で悲しむのではなく、
縁ある人たちが悲しんでくださり、
反対に喜んでくださる時も同じように繋がりがあり、
私以外の人たちの願いで生かされていることを知らねばならないでしょう。
当寺住職 拝
Category: 法語と名言
平成29年3月の法語

今や、でこぼこ道や大きな落差の道はなくなり、
舗装された道となりましたが、
熊本の地震のようなことが起こりうる時代でもあります。
生きていくには方向も定まらない道、
騙され落ちる穴もあったり、
辛い坂道もあり、
平坦ではない道ばかりです。
しかし、そのような道を渡りきった人々の道を確認し、
信じ、安心して、歩みたいものです。
中国の砂漠を経典を探しに亡くなった人の骨を目印に歩まれたとあります。
私たちは己にそのでこぼこ道を
耕し渡った(=苦悩を解決された)人の言葉を教えとして聞き、
引き継いでいくことが務めとしてありましょう。
合掌
当寺住職
南無阿弥陀佛
Category: 法語と名言