山伏弁円のお話
今日は、久しぶりの雨。7月後半のように、雨が降り続くと「まだ晴れんかなぁ」とブツブツ言いますが、まったく降らないと「まだ雨降らんかなぁ」と自分勝手に思っております。
しかし、勝手ながら今日の雨は、境内の木々たちは喜んでおります。そして、外掃除がやすめる私も大喜びです

今日は、山伏弁円のお話です。
先日開催した『虫干』にご来寺して下さった方のところに、お月参りに行って参りました。
そのお檀家さまは『虫干』の時に、『聖人雪枕図』を見られて、
「そういえば、うちにも山伏弁円のお軸があるよ。今度、お参りの時にかけておくからね。」
と仰ってくださったので、拝見させてもらうのを楽しみに伺いました

御家へあがらせて頂くと、

ど~ん!!!
ありました、ありました


一目でわかる

山伏弁円が、すご~く聖人を狙っています

そんな緊迫感がすごく伝わってきました、
しかし、ずっと見ていてはいかん、お参りがまず先だ!と自分に言い聞かせ、
南無阿弥陀仏・・・・・(読経中)・・・・・・南無阿弥陀仏
そして、お勤めが終わるなり、またじっ~~~と拝見。
おそるおそる・・・「写真、撮ってもいいですか?

お檀家さま:「どーぞ、どーぞ」
「よっしゃ!」と心の中で思いながら、
パシャッ!
もう一枚、パッシャッ!!
二枚ほどフラッシュ無で撮らせてもらいました

そして、これが二枚目、アップです。

そんなにかわらんですね・・・・

そうそう、山伏弁円のお軸のお話ばかりでは何が何だかですね、得意ではありませんがなんとなく説明してみます

→ 流罪にあい、それも許され関東へ向かわれた親鸞聖人は、草庵のある常陸国を中心に、念仏の教えを広められていました。
常陸国は昔から、修行によって呪術を学び、加持祈祷をする山伏が多くいました。板敷山には、その山伏たちが修行する場であったのです。
山伏たちの「祈りによって病気や災難、不幸を除き、欲望を満たそうとする教え」と、聖人のお念仏の教えは、まったく違うものなので、聖人の布教によって加持祈祷をたのむ人がどんどん減っていくので、山伏達は聖人のことをよく思っていませんでした。
そんな状況下なので山伏弁円は、聖人をこらしめようと板敷山を通りすがる布教中の聖人を待ち伏せしましたが、何度も何度もすれ違いばかりなのです。
いてもたってもいられなくなった山伏弁円は、ついに聖人の草庵まで乗り込むことになったのです。
そして、「親鸞おるんか!出てこんか!!」と大きな声で叫びました。
その声を聞いて出てこられた聖人は、すごい形相の山伏弁円をみても動ぜず、ありのままの姿で対応されました。
この聖人のありのままの状態に接した弁円は、聖人への敵意や恨みが一気に消えてしまい、聖人の御前にへたれこんでしまったようです。
それから弁円は、お念仏に生きる聖人こそ仏さまとあがめ、弓矢や刀を捨て、今までの行動を悔い改めて弟子となったのです。
のちに明法房という名をもらい、生涯聖人につかれ聞法に励まれることになったのです。
と、簡略ですが、なんとなくこんな感じです

このお軸は、草庵に乗り込む前の弁円の姿なんでしょうね

こういった絵から教えを解く、といったことも昔から代々あるそうです。
久遠寺では、これまで『絵』自体がなかったのですが、いまここに、御縁あるべく『親鸞聖人絵伝』四幅一対が出てきました。
この御絵伝の『絵解』ができるよう、勉強して参りたいと思います。
それでは、失礼します。
南無阿弥陀仏 高山信雄
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