結界を寄贈して頂きました
朝雨が降ってると思いきや、非常にいい天気に恵まれた日でしたね。ぽかぽかし過ぎて、もう寒いのは耐えれなくなってしまいそうです

今日、あるお寺のお檀家さまに本堂の結界を頂戴致しました



なぜ頂戴したかといいますと、たまたまあるお寺に僕が寄せてもらった時、そのお寺に結界があったんですね。そこでいいなぁいいなぁとお話していたら、その話がお檀家さまに伝わって作ってくださる、とのお話になったわけです。
本当に有難いことです

そして、見た目にも非常に立派なものなんですが、これ実は手作りなんですっ


あるお寺のお檀家さま、大切に使わせて頂きます。本当に有難うございました

それでは、失礼します。
南無阿弥陀仏 高山信雄

Category: 寺仕事
平成22年二月の法語
今日は、気持ち悪いくらいの暖かい日ですね


二月の法語は↓

「阿弥陀仏は光明なり 光明は智慧のかたちなり」
もう明後日には三月になってしまうのに、まだ二月法語とは・・・申し訳ございません。今回は、どのように説明したらよいかなかなかいい案が出てこず、結局この月末まで引っ張ってしまいました

今回は、「光明」に着眼してみたいと思います。
光明とは、いわゆる仏さまのお光のことでして、「正信偈」の中に「普放無量無辺光 無碍無対光炎王 清浄歓喜智慧光 不断難思無称光 超日月光照塵刹」と十二光が表わされているんです。
無量光 無辺光 無碍光 無対光 炎王光 清浄光 歓喜光 智慧光 不断光 難思光 無称光 超日月光
これらが何を表わしているかといいますと、仏さまのお徳のことなんですね。一つ一つも意味はあるのですが、今回は省略しまして大義としては、「浄土和讃」を引用させて頂くと、
弥陀成仏のこのかたは
今に十劫をへたまへり
法身の光輪きはもなく
世の盲冥をてらすなり
とあります。さらっと読ませてもらいますと、光に限りなく私たちの全ての盲冥をてらしてくださるのが、仏さまのお光と理解できると思います。
ですので、光明こそ仏さまの願いの表れであり、その願いはまったく隙間がなく私たちに普く照らして下さっているのです。ただ、私たちはそのことに気付いておらず、親鸞聖人は「気付けよ」とのお心で『正信偈』に述べられているのではないでしょうか。
すでに仏さまに包まれている私たち。そのことに気付かせて頂いたときに、本当の感謝のお念仏が称えられるのでは、と思います

それでは、失礼します。
南無阿弥陀仏 高山信雄

Category: 法語と名言
寺の掲示板 平成22年2月21日掲載
今日はまる一日雨降りですかねぇ、これからしばらく雨が続くそうです


今回もいつもと同様、寺の掲示板を更新しました・・・・がアップが遅くなり申し訳ありません


「お念仏とは、自分を発見する場所である」金子大栄
住職も最近は慣れてきてくれたようで、すぐに解釈を下さいます。さすがっ


→昨年、美術館で画家ゴーギャンの展覧会を鑑賞しに行った時のことです。ゴーギャンは「今、自分が何処に居るのか、どこから来たのか、どこへ行くのか」をキャンパスに表現されていたのが深く身に染みています。
私たちは、今こうやって生きていることが当たり前になっていて、自分の思い、都合によって不平・不満・悩みを持っています。しかし、本当は今生きていることこそが不思議なのであります。春夏秋冬がくるのも、自然界の恵みなどの当たり前であって当たり前でない不思議なはたらきを知った時、その不思議さが私に感動と感謝を呼び覚ますはたらきとなるのではないでしょうか。本当の願いがわからず、自分の思いのみで生きている私に「本当の願いはもっと違うところにあるぞ」と不平・不安・悩みを通して、私自身の居り場所を与えて下さるのです。そして、このことを気付かせて下さるのが聞法であり、実際は仏さまから念ぜられている私であったと気付かせてくださるのではないでしょうか。
なるほど。みなさまには「居場所」はありますか?自分の居場所、よく考えてみると自分が見つめなおせるかもしれませんね

それでは、失礼します。
南無阿弥陀仏 高山信雄

Category: 寺の掲示板
前坊守・祖母一周忌が勤まりました
昨年の今頃、ボクの祖母が往生の素懐を遂げました。徐々に弱くなっていましたが、それはそれで当然で‘生きている’ことには変わりなく、変わらぬ毎日を過ごしていた突然のときでありました。
それからもう一年も過ぎたことに驚いています。
そして、祖母一周忌の準備をしていく段階で、いろいろと思い出しながら準備をさせて頂きました。
こうしたら喜んでくれるかなぁとの思いや、親戚もこんなことをしたらおばあさんを縁にいろいろ話せれるのかなぁ、と想像しながら準備を進めていきました。


この角掛は、祖母の着物から仕立てたものです。今現在、寺で大々的に使用する機会はありません。また現在ではわざわざ‘着物を仕立てる’といぅたことはあまりないのですが、戦争による影響下といいますか、寺には何もなく荘厳を揃えるのもやっとな時代であったと思います。まして、角掛など買えることはなかったから、せざるをえなかったのでしょう。
そんな中、自分の着物を角掛に仕立てる、当時の坊守さまは多かった、と自分の中で思っています。結局この角掛自体は痛みがほとんどないので、非常に大切に使用したか、また実際どの程度使用したか分かりませんが、今後大切に使用させていただくつもりです。
住職が、祖母の法事のたびに言います。
→「すいません、ありがとう」こればかり言っている母でした。しかし、本当の意味は、こんな自分も生かせて頂いて、との感謝の言葉であった、と。
素直に自分と向き合い、他の人を敬いながら「すみません、ありがとう」と言える人間になれよ、との願いを聞かされた気持ちでお年忌を勤めさせて頂きました。
お年忌は忘れた頃にやってきます、またそんな頃に忘れていくだろうことを思い出させて頂けたらと思います。

注)あんまりにてないですねぇ

祖母を通し、仏様の教えを聞かせて頂けることに感謝し、毎日を大切に過ごしたいと思います

それでは、失礼します。
南無阿弥陀仏 高山信雄

Category: 寺仕事
影響の末・・・
先日のお内裏様の記事から、お月参りに行きますとどこのお宅もやはりお内裏様、また雛壇が飾られているんです



応接間の飾り棚にすかさずセット


このお内裏様は、ボクの姉さんたちのものであって、まだまだ年齢は半世紀超えていないくらいなんです。先日ご紹介した150年ものと比べるとまだまだ若いですね。
しかし、いざ出してみるとちゃんと仕舞ってあり大事にしていたのが伺えました。このお雛様に託した願いどおり姉さんたちは無事結婚していますよ

お雛様、有難う

特に時期は決めてませんが、季節のものとしてうってつけなのでお寺にしばらく飾らせてもらいます。もし機会がありましたら、ちらっと見て頂ければ幸いです。
それでは、失礼します。
南無阿弥陀仏 高山信雄

Category: 趣味