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真宗高田派久遠寺ブログ  『シュリハンダカ』

愛知県名古屋市中区にある真宗高田派久遠寺の日常をお伝えします!

 

寺の掲示板 平成22年3月13日掲載 

みなさま、コンバンワ!

なんだか毎日雨が降っている気がしますね3月に入ってから、はれての愛犬の散歩係になりましたが、最近では仕事前の早朝は雨ばかり。しかし、散歩を楽しみにしすぎて起こしにくる愛犬をほっとけず、ずぶ濡れになる日も。。そして早朝散歩の癖がついてしまったので、ゆっくり出来そうなときも起こしにくるんですまぁ早起きをしつけた僕が悪いですけどねぇ


そして、寺の掲示板も更新しました

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「かえる家がもてたかい 遠慮のいらん人が一人できたかい」前田正直氏


雨がしばらく続くと、少し機嫌が悪くなる久遠寺住職に解説して頂きます

住職似顔絵
→旅行に行く前は、それこそ私の生きがいの如く、充実感・高揚感があります。けれども帰る頃になると「明日からまた仕事が待っているのかぁ」と虚しさを感じざるを得ません。しかし、ぬくもりのある家庭が帰る場所なら、旅行後の嫌な仕事も頑張ることもできる訳です。また、どこかへ行く時に、今の自分の居場所が分からないと、西へいくのか、東へいくのか、上りなのか、下りなのかと歩む方向すらわかりません。今の私の人間としての居場所・今自分は必要とされているのか、自分の分限を知っているのか、本当の事を知らないのに知っているつもりで生きている私という人間が、仏様の全てのはたらきによって生かされている事に気づかされる教えが、私たち人間のいのちの還る場所でありましょう。私たちは全ての人間関係において、気を使いながら、気を使っていないようだけれども、気を使って生活しています。「遠慮がいらない」とは、上から下への言葉であり、その態度ではないでしょうか。私たちは差別の心で生きています。差別の心を無くす平等とは、相手を敬う心で、物事を聞くことではないでしょうか。そうした中で、仏様の歴史の中に我が身を問う時は、全てを投げ出して聞いていく姿であり、そこには遠慮はいらない訳なのです。聞く事によって、当たり前にして生きている傲慢な心に、清らかな温かい言葉として「南無阿弥陀仏」と名告っておられる仏様であるが故に遠慮は要らないのです。

遠慮のいらん世界=仏の世界
何でも聞いてくれる人
何でも言える人
何でも答えてくれる人
尊敬する人 経験の智慧の人

それでは、失礼します。当寺住職 高山元智




そうですよね。遠慮がいらんとは、難しい言葉で範囲がわからないですよね。しかし、住職は「遠慮がいらん」ということはありえん、みんな遠慮しながら生きている、迷惑かけずに自分たちで生きるとはありえない。」と言われている気がします。最近では、後の世代に迷惑がかかるから、といろいろご心配される方も多いようです。しかし、共に生きる仲間=家族なのですから、迷惑を掛け合って支え合うのもいいのではないかな、と僕は思います。その中で今あることを見つけなおし、感謝できるならそれはとても尊いことなのではないかなぁと感じている次第です


それでは、失礼します。

南無阿弥陀仏 高山信雄

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Category: 寺の掲示板

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