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真宗高田派久遠寺ブログ  『シュリハンダカ』

愛知県名古屋市中区にある真宗高田派久遠寺の日常をお伝えします!

 

寺の掲示板 平成22年5月25日掲載 

皆さま、オハヨーゴザイマス!

二日間の長い雨をようやく一休みのようです。この長雨のせいで大変な影響をうけた地域もあるそうです。たかが雨、さえど雨のごとく、軽視しているとえらい目にあってしまいます。自然をコントロールすることは到底できませんね。
被害が出てしまったところは、本当に大変と思いますが、なんとか乗り切っていただきたいものです

寺の掲示板をまたまた更新しました!1日更新を元に戻すべく少しペースアップです

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「おろか者と気がつけば 人に教えを聞くこころになる」高光大船

住職似顔絵
 →人間には賢い人と愚かな人、名誉や地位がある人、知識の深い人や広い人、無執着な人、人間にあるまじき行いをする人、多々あるわけです。賢さによって上から下へ教えらえると、反感を抱き、人を傷付け、人間であることも失わせる時もあります。
賢さとは、相手との意見の違いを認めあい、その意見を聞くことであり、相手を屈服させることではありません。意見を互いに尊重することによって、ともに教え合うという平等な対話が出来るのでしょう。私たちは、今まで生きてきた経験から世間の事や自分の事のだいたいのことはわかっているつもりでいます。だからこそ生きておれるのでありますが、先師曰く「本当の事を知らないと、本当でないことを本当とする」と言われるのです。本当の事とは、知らず知らずに人を傷つけ、祖先が生ききってくださったつながりの命、また他者が辛抱して下さっているから今がある、ということに気付くことです。何一つ本当の事が出来ない私であると頭を下げるのでなく、下がる自分の愚業性(おろかさ)に気付かさせて頂くのと同時に、人として本当のあり方を聞かずにはおれない心にさせるのが、仏法の教えなのではないでしょうか。
なんでも分かっているつもりが無明(愚かさ)である、と私は思います。


うんうん。先日の五木寛之さんの講演でも、人間の我執・闇についてお話下さいました。ただこのことに気がつくかつかないかが問題のようです。住職のお話の中でも、「知らず知らずに人を傷つけ・・・」となります。私たちは生きていくうえで、何も悪気なく傷つけてしまっていることも多々あると思います。気づいても尚傷つけることさえあります
。そんな時に、自分はこんな人間なんだ、と気づくことが大切であり、そこで初めて救ってくださる仏様のこころに触れることができるのだと思いますね
かといって、常に反省ばかりもできないのが普通とも思います。ただ今あることに感謝していけたらと思います


それでは、失礼します。

南無阿弥陀仏 高山信雄
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Category: 寺の掲示板

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