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真宗高田派久遠寺ブログ  『シュリハンダカ』

愛知県名古屋市中区にある真宗高田派久遠寺の日常をお伝えします!

 

寺の掲示板 平成22年6月11日掲載 

みなさま、コンバンワ!

蒸し暑い日です。夜も寝苦しいかもしれません・・昼間なんかまだ早いかもしれないですが、仕事部屋の「ドライ」のボタンを今年初めて押してしまいました・・・早く体を慣らさないと、疲れのようなだるさが襲ってくる気がしますけど、ここはひと踏ん張りして元気よくいかねばいかんですね


寺の掲示板を更新しました。ようやく①のつく日に更新をもってくることができました。やれやれです
今回は↓

DSCN1871.jpg

「一寸先は闇という よくみればその闇は 私の中にある」 榎本栄一

住職似顔絵

→真っ暗闇といいますと、私の小さい頃を思い出します。寺の境内には墓地があり、夜中にお墓の中を歩くと、一歩一歩確認しながら進んだものです。周りは真っ暗ではありましたが、星空のかすかな光が行く方向を示してくれました。
現代では人工の明るさによって、暗いという感覚は薄れています。しかし、この暗さではなく、ここで言われる闇とは「人間が自分の思いで何でも知っている、わかっているつもりでいる」という闇であります。よく考えてみますと、私たちは自分の身体の事もわからないし、自分の存在も、今から行く先もわからない。けれども、どうにもならないと行き詰った時こそ、私たちよりもっと自分の思いに苦しみ、もがかれた先輩(善知識)の歩まれた歴史の事実の光に遇わせて頂くことができるのでしょう。その瞬間、本当は自分が何にも分かっていない=無明だと気付かされるのでありましょう。
『千年の暗室も一筋の灯で明るくなる』


なんだかわかりやすい、イメージしやすい法語ですね。「はっ」となんだか気づかされる気がしました・・住職が最後に書かれているのは、経典のおことばなのですが、「千年の暗室」といいますとかなり暗いイメージがわきますよね。そんな場所でも、たった一つの灯で明るくなる、といわれているのです。まさに私たちの住む世界も、道は見えてそうで実は見えてなくあっちへいき、こっちへいきの繰り返しばかり。けれども、お念仏といたった一つの光に遇うだけでその闇は明るくなるんです。闇がなくなるのではなく、明るくなる。いろんな悩みや不安をもちながら、どの方向へ進むべきかの一筋の光が見えてくるというわけですよね。まさに法然上人・親鸞聖人から自分の関わる先人たちからずーーーーーっとのお念仏のつながりが光なのです。その光に遇うべくお念仏申したいですね



それでは、失礼します。

南無阿弥陀仏 高山信雄
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Category: 寺の掲示板

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