暑さ凌ぎに。
今年の暑さは尋常じゃないですね、熱中症も年々取り上げられる回数が増えてきたように感じます。無理をせず、クーラー等少しでも体に負担がないようにお過ごしくださいね

久遠寺では、最近の夏はやることがあるんです。
昨年はとくに何もでしたが、二年前、三年前も試みました。そこで今年もという住職のリクエストにより作成したのが↓

そう、久遠寺Tシャツです。住職が今年はこの言葉で、と言われるので例年通り作成してみました。
どうでしょうか?
アップにしてみると↓

「和顔愛語」。みなさまも聞いたことはあるのではないでしょうか。
和やか・穏やかな顔でぬくもりのある言葉をかける。そんな具合の意味です。今年はこんな言葉を背負いながら、法務をしていこうということをカジュアルにTシャツにするのが、夏の流行りなんですね

ちなみにこれは住職の自腹のもので、もちろん非売品。だったら見せるなーと思われるかもしれませんが、こんなTシャツ作ってお寺の仕事をしているんだ、と知って頂きたくて。
虫干の日も、嫁さんと僕はこれを着用予定。
どうしてもほしい方は、住職に直談判してくださいね~

それでは、失礼します。
南無阿弥陀仏 高山信雄

Category: 趣味
寺の掲示板 平成22年8月21日掲載
蒸し暑い日が続きますね。僕自身、暑さに負けんために水がぶ飲みでいろいろ仕事していたのですがついに胃腸を痛めてしまいました・・・


寺の掲示板を更新しました!

「花びらは散っても花は散らない 形は滅びても人は死なぬ」 金子大栄

→宇宙の営みは、すべての存在に平等にはたらきかけています。草花・動物たちもあらゆる条件によって生かされている訳です。そんな中で人類は一つ一つの存在に名を付け、人間を頂点としながら位置付けています。標語の花びらは散ってもその根っこが生きている限り、花は咲き続けます。その花・木は永続的に存在するわけで、例え枯れたとしても、その花々の姿が我々に感動を与えてくれたことはいつまでも心に残ります。
人間も肉体は滅びてもその人の名を憶念し、「往き生まれる」ことを教えられます。過去の人の顔は忘れつつも、名によってその人々の生きてこられた歴史をしり、いのちの継続が知らされます。
佛も名によって佛の存在と願いを人々に伝える名告りであり、亡き人の願いでもありましょう。よって形は滅びても永遠に求める限りその存在は働き続けるのではないか、と思うのです。
合掌 山元智
「憶念」すること、大切ですね。形が亡くなった時、本当の姿がみえることも多々ありますね。みなさまがお参りするのもその一つのように感じます。憶念することで、初めて仏様の願いを聞かせて頂き、手が合わさる。花弁からもそんな教えが聞かせて頂けるんですね。もっと身近の不思議に目を向けなくては。
当たり前。と思ったら目が霞みます。常に「有難う」の気持ちを大切にしたいですね

それでは、失礼します。
南無阿弥陀仏 高山信雄

Category: 寺の掲示板
お盆のお勤めが終わりました
久しぶりに登場です。長いようで短いお盆の時期が終わりました。この短い期間の間に、普段はお会いできないお檀家のみなさまともお会いでき大変意義のある時間を過ごさせて頂きました。
みなさまにとってのお盆はどうでしたか?
どこか遠くへ旅行されたり?
こんなときばかりは自宅で過ごされたり?
いろんな方がみえると思います。でもせっかくのお盆休み。みなさま、ご実家のお仏壇、またはお墓などお参りして頂けましたでしょうか。「お盆休み」というながつくくらい、昔より大切にされている期間でもあります。お盆にお参りなしだったら、ただの夏季休暇ということになってしまいますしね。是非今からお休みを取られる方はぜひぜひお参りして頂きたいものです。
今回というか、毎年よく質問されるのが、「お盆の正式な時期はいつなの?」と聞かれます。正直、地域でも七月盆や八月盆とも変わりますし、宗派でしっかり指示されている寺院さんもあると思いますが、一般的には13~16日、けれども拘らず手を合わせる場を作ってください、とお願いしておりました。
真宗において、皆が寄り添い、おかげを感じる場がまず大切な気がします。私たちがお参りするのも、「お寺さんが来るで、みんな集まれ!」というのも一つ大事な手段と思っています。
集まることで、亡くなった方をご縁として、皆が集まり、思い出話をし、今の自分のことを話し、そして今の自分自身の本当の立ち位置を教えて頂ける。気づかせて頂けるのではないでしょうか。
寄り添うことを年々忘れ気味になっている私たちであります。昔より大切にされているこの「お盆」の季節も大切につないでいきたいですね。
それでは、失礼します。
南無阿弥陀仏 高山信雄

Category: 寺仕事
無事終了。
今日は午後から雨の予報があり、墓参の天候具合が心配でしたが無事午前中はほとんど降ることなく終えることができました。場所によってはすごい豪雨になっていたところもあるらしく、こればかりは自分でははかれないことでただただよかったと肩をなでおろしております。いまちょうど、午後から2件お参りして、お寺でのお参りが一つ終わり、あと一つ残すだけとなりました。すこーし間が空いたのでブログしてます

今日もまだお盆前にも関わらずたくさんのかたにお参りいただけました。いつも有難うございます

写真でみるとそうでもないですが、常にこんな暗い空をしておりました。ですが、ときたま晴れるんです


久遠寺代々の墓石です。けっこうな数です。現住職で第19代目、すべては揃っていませんが清洲越し以前からやく400年ちょっと前からのお寺の代々です。この方たちはいまの久遠寺、現代をみて喜んでくれるよう法耕に励みたいですね


そして、この時期お墓の前にはこれらがたくさん供えられますね。

そう、ホオズキですね。提灯にみたててお供えされるようです。基本的に真宗では盆提灯といったものは使用しないのですが、世間のお花屋さんにはこれがいっぱいなのでしょう。またこれもひとつの風物詩と思うと、なければないでさみしく感じてしまいますね

お盆の時期にホオズキを立てて、お供えしながら、ホオズキとほおずきと言い続けてみますと、、、、ほうずき、ほうずき、法好きになれるよう(笑)手を合わせたいものです


それでは、失礼します。
南無阿弥陀仏 高山信雄

Category: 平和公園
お盆
まだまだと思っていたお盆ですが、もうすぐそこまで来てしまいました。すでに先週土曜くらいからお盆休みに入っている方もいるみたいですね。お参りのことばかりで、お盆休みの感覚が欠落してました

お盆休みなだけに、お墓参りやお仏壇に手を合わせるご縁を頂かなくては、ただのお休みになってしまいますね。昔から大切にされてきたお盆の時間を今年もまた過ごして頂きたいな、と思います。
そこで、お盆とは?と簡略に書いてみました。昨年の寺報に掲載した記事でありますが、ぜひ再読して頂ければと思います。
→お盆の正式名称は「盂蘭盆」といい、インド語のウランバナに漢字をはめたものです。
『盂蘭盆経』の目連尊者の物語がよく話されることが多いようです。 お釈迦様の弟子であった神通力第一の目連様はある時亡くなった母の様子を見てみました。すると、母は哀しい事に餓鬼道に堕ちていたそうです。優しかった母がなぜと思い、どうしたら母を救えるかをお釈迦様に尋ねました。するとお釈迦様は「目連よ、汝の母の罪は重く、一人の力では救うことはできない。救いたければ、大勢の僧侶を招き、百味の盆を供え供養しなさい」と。そうすると、母はたちまち救われ僧侶は皆揃って踊り歓喜したそうです。「開山堂出版より」
インド語のウランバナの意味は「倒懸」で逆さまに吊り下げられた苦しみとあります。しかし、お釈迦様の本当の真意は、目連様の考え自体が逆さまであり、少しくらい修行し供養しても母を救おうとする考えが間違いであると云われています。実は母はすでに救われている、その母から人間の生死無常であることを母を通して教えられていくことが真意なのです。僧侶たちが踊り喜んだ「踊躍歓喜」というのが盆踊りの始まりと云われています。そして、真宗ではお盆を「歓喜会」と呼び、本当の教えに遇い喜ばしい法会のことをいいます。
親・先祖のご恩・教えから自らを省みる大切な時期であります。是非ご家族揃ってお参り致しましょう。合掌
寺報第25号『久遠』より引用
明日は平和公園・久遠寺墓地でのお墓参りの日であります。夏真っ盛り、暑い日が予想されますがぜひ皆様お揃いでのご参詣を心よりお待ちしております。8時~12時まで現地におります。
それでは、失礼します。
南無阿弥陀仏 高山信雄

Category: 寺仕事