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真宗高田派久遠寺ブログ  『シュリハンダカ』

愛知県名古屋市中区にある真宗高田派久遠寺の日常をお伝えします!

 

寺の掲示板 平成22年11月13日掲載 

みなさま、コンニチワ!

寺の掲示板を更新しました!最近、掲示板横にブログと同じ「住職の味わい」をコピーして設置してあります。これが、予想よりどんどん減るので少し嬉しくなっております。内容はまったく一緒ですのでご心配なく。


それでは、今回の法語は↓

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「自分さえ良ければいい この悲しさ」 浅田正作


住職似顔絵
自分がかわいい、ただそれだけのことで生きてきた。それが深い悲しみとなった時、違った世界が開けてきたそうです。この詩は、金沢のお寺のお手伝いをしておられた浅田正作さんが書かれました。

一般的に「自分さえ良ければ」とあからさまには思わないにしても、詩のように家族、子供、孫は他人よりかわいいと思っているのではないだろうか。例えば運動会、遠足などの集合写真を見てもまず自分の家族を見つけることは、このことに当てはまります。
またスポーツにおいても、自分の国と他国が試合をしていたら当然自分の国を応援してしまいます。最近では、如実に国と国との競い合いが過度になっているように思います。その延長が国と国との文化の違いを認めず、ただ利益の争いになっているのではないでしょうか。

正義と善の名のもとに人を傷付け、争いが起きています。人間は自分を守ろうとして、他を批難し、自分が正しいと主張するばかりで本当の心を顧みないわけです。そのような争いの中に自己の本当の安らぎは得られません。生きていくということは言葉で人を傷付け、他の動物も殺し、自然の大きな恵みの中で生かされているのであります。この事実が自己の深い悲しみとなった時に、善き人々の言葉が思いの中で生き、都合で生きている自己に清浄で純粋なる道を歩ませてくださるのだと思います。

「自ずから羞じ、天に羞じる」=慚愧の心が大切なのです。

しかし、心を失った時、本当の自己には気付くことは難しいのではないでしょうか。ラテン語で常識とは「共通の場に互いがいる」と言うそうです。生きとし生けるものが共に同じく尊敬し合う場で在りたいと願います。教えの光に遇えた時、自分の思いを超えた大きなはたらきの世界が見えてくるのではないでしょうか。

合掌  久遠寺住職 山元智

慚愧の心、なかなかできないんですね、これが。久遠寺では、この大切なお言葉を忘れないように久遠寺Tシャツにプリントしてあります。大切なお言葉ですし、住職の好きな言葉でもあるんですね。



それでは、失礼します。

南無阿弥陀仏 高山信雄
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Category: 寺の掲示板

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