追悼法要
昨日一昨日と東日本大震災から49日として、いろんなご寺院で追悼法要がお勤めされたようです。久遠寺の隣寺も永代経法要と一緒に、と掲示板に書かれておりました。高田派ご寺院もブログを読ませて頂いておりますところはお勤めされ、参詣も通常通りあったと記事がありました。
久遠寺では法要という形はとっておりませんが、住職が当日震災時間にお勤めしてくれたようです

僕自身は、新聞に記載されてあった宗派問わずで被災者追悼法要を行うとなりました「永平寺名古屋別院」へお参りに行かせて頂きました。出勤も自由ということでしたが時間の都合がつかずお参りという形をとらせて頂きました。

まったく何もわからず、普段ならお参りすらしないご寺院へ。ちょっと緊張しました

中の写真は撮影したかったのですが、とてもそんな雰囲気でなく静かに厳勤されました。宗派問わずですので僧侶の方々も様々、けれども15名ほどの僧侶方が参勤されておりました

お勤めする中で答えができるわけではありませんが、「自分にまずできること」として手を合わせるより他なかったという感じです。隣の方がお勤め中涙を流しておられた。きっと関係者なのだろう、尊いいのちが震災によって奪われてしまったのだろうと想像ばかりで難の助けもできない自分がおりました。現地に行かれ、話を聞くことをされる僧侶も見えると聞きます。ただただ頭が下がるばかり、まだ僧侶になり切れていない自分を恥じるばかりでした。
けれどもこれからもこんな機会があれば参加していきたいとも思いました


それでは、失礼します。
南無阿弥陀仏 高山信雄

Category: 寺仕事
平成23年4月の法語
ついにゴールデンウィークになりましたね!お休みの方はどこかへ行かれるのでしょうか?僕自身は何も予定なく子供の初節句、母誕生日兼母の日くらいですね。言い換えればお食事会ですねぇ


そして、今月ももう明日で終わり。法語カレンダーを読み返してみましょう


読ませて頂いた瞬間、「なんて有難いお言葉なんだ、何も心配する必要なんてまったくないんじゃないか」と率直に感じておりました。
まさしく仏号とは仏様のお名前のことであり、非常に称えやすいものである。そして、そのはたらきをもってすればお浄土へ私たちを届けて下さるのです。これはいいなぁいいなぁと住職と話しておりましたら、
「こんな簡単な表現だからこそ説明は難しんだなぁ」と言われます。(この時、住職は寺報での法語を味わう、にて解説を思案中だったんですね)

ちなみに住職はこう味わっております↓
佛号=名号のことで、仏様のはたらきを言葉で表したものであります。念仏を称えることは、誰にでも簡単であります。しかし、自分の都合、思いの手段として勝手な願いとなっていることを戒められた言葉でもあります。
自力一杯で生きている私に、仏様が私の願いを聞いてくれよと名告り、その仏様の誓いを通して、仏様のこころを頂けるのでしょう。
自分自身の考えが断たれた時、本当の「生」に遇わせてもらい、名号を聞かせて頂き、信じ歓喜するこころをもってお浄土に往きやすくなるのでありましょう。
なるほどっと思ってしまいました。「自分の都合」、いつも出てくるのですが、やはり人間をしている以上知らぬ間に「我」がでてしまいますよね。この法語も自分勝手に持ち歩いたら何にもならない、今あることに感謝をし本当に喜んでおれば自然と手が合わさる。自分が用意したツールでは結果はでませんが、仏様が絶対救ってやるぞと用意して下さったツールは、結果もちゃんと出してくださる。それが南無阿弥陀仏と極楽往生なのだなぁと改めて自らを振り返りながら歩まなくてはと気付かせて頂けた法語でありました

それでは、失礼します。
南無阿弥陀仏 高山信雄

Category: 法語と名言
手作り念珠

先日、愛知県田原市まで「自分で作るお念珠」を教えて下さる住職がお見えなのではるばる行って参りました

ですが、その度に修理にだしても時間がかかったり、料金がかかったり、また自分の好みの色でなかったり・・・・と思うようにいかないことも多々あります。できれば自分で作りたい、修理したいと思っていたんですね

そうしましたら、田原市のご住職が大の得意ということ。是非教えてくださいとのご要望を受けて下さった次第なんですね。それにしても田原のこのお寺、超でかくて立派なんです!!!



いきなり念珠制作ではなく、お寺のいろんな個所を見せて頂きました。
そして、いざ念珠制作へ


今回はこのようにキットを用意して下さいました。
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一時間が経ち・・・・
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二時間が経ち・・・・
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三時間が経ったところ・・・・ようやく完成!!!

意外に難解な部分もありましたが、制作してみると愛着の沸き方が違うっ!!これはおもしろいっ!!!!と思い必ず今後も継続しなくては、と思いものワンセット購入しておきました。
この企画、僕が慣れてきたらみなさまにも是非やって頂きたいと思います。自分が制作したお念珠でお参りする。合わせる手もなんだか気持ちがこもるかもしれませんよ。
またお声かけしますので是非企画に乗って下さいね

それでは、失礼します。
南無阿弥陀仏 高山信雄

Category: 研修
寺院巡り
先日、愛知県内の高田寺院を巡る研修に行って参りました。平生はどのようにお勤めしているのか、またどうような工夫をされているのか、など同じ門派・同じ県内同士の寺院を巡りながら勉強させて頂く機会なのです。
どの寺院もいろんな工夫がなされていて、取り入れてまねしていきたいなと思うことも多々ありましたよ


このうらやましいほど抜けるような青空の下に本堂が・・・・これは真似したくてもできません


こんな貼り付け板があれば、ご法事などのちょっとした合間に掲示物を見て頂けるんだろうなと思いました。自分ではなかなかこのサイズのものは作れませんが


久遠寺の立地としては少し考え中の納骨堂。大変参考になりました。

こちらは位牌壇。こういうあり方もあるのかぁと思いながらいろいろ勉強させてもらいました。

非常に見えにくいのですが仏華がたてやすそう。けど意外にお値段がするそうです

まだまだいっぱいあるのですが、どれも真似しながらうまく寺の還元できたらと思いました。どの程度勧めれるかは今は未知数ですが、よりお参りがしやすいお寺になるよう努めていきたいと思います。
それでは、失礼します。
南無阿弥陀仏 高山信雄

Category: 研修
寺の掲示板 平成23年4月21日掲載
なかなか掲載が遅れており、ご迷惑をおかけしております。ようやく寺の掲示板を更新いたしました。今回は↓

「真に愚か者と気が付けば、人の教えを聞く心となる」 暁烏敏師

人間は社会に対して、また家族に対して役に立っているのだろうか、とよく思ったりします。知識や名誉に於いても誇れる程優秀でもないです。しかし、他人の方に「あなたは何にも知らないんだねぇ」と言われたり、我が子からも無視されることによって本当にそれを受け入れる事ができるのしょうか。ここに、自分中心の思いで生きている自分がいるわけであります。
仏法でいう罪悪性は認めることはできないです。では人間の罪悪性とは何でしょうか。例えば、自分の思いと都合通りに生きている時は、自分流にしか内も外は見えていません。ですが、仏法の教えを聞かせて頂く中で少しずつ自分自身とは何であるか、が見つめれるようになるのではないでしょうか。また恐ろしいことも考えてしまう自分自身の本性も浮かび上がってきます。そこで初めて、今まで知っているつもりが本当は何もわかっていない自分の愚かさに気付かされるのでありましょう。
父祖の言葉、妙好人の方々、何より親鸞聖人の「さるべき業縁もよおせば」の如く、法律的な罪ではなくして、生きていることでの罪の深さを知った以上、仏様の教えを聞かずにはおれません。ただ聞かせて頂くだけでありましょう。合掌
平成.23年4月22日 久遠寺住職 山元智
それでは、失礼します。
南無阿弥陀仏 高山信信雄

Category: 寺の掲示板