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真宗高田派久遠寺ブログ  『シュリハンダカ』

愛知県名古屋市中区にある真宗高田派久遠寺の日常をお伝えします!

 

第11回法話会 

みなさま、コンニチワ!

昨日、非常にいい陽気の中で法話会を聴聞させて頂きました。外はポカポカ、中はヒンヤリのこの季節、今月が最後となるであろう、なってほしいストーブをつけての会となりました。

副題を「なぜ年忌を勤めるのか」とし、まず年忌とはどういうものであるかをご説明頂きました。死を縁として尊い生を考える場がお年忌であり、お年忌の勤め方もお話下さいました。またお年忌をなぜ勤めるかとの一般的な考えとして「おさまり」「怯え」があるとお教え下さり、本当の供養とはなんであるかを聴聞させて頂きました。

普通にみなさまが興味がみられたのは、香典の出し方の向き(方向)。いつもお出しする時にどちらか迷ってしまいますよね。資料を交えながらしっかりお答えくださいました。
どういうことかと言いますと、仏様に対して名前が読みやすい方がよいのか、自分が読みやすい向きでお出しするのがよいのか、ということです。つまり「~させて頂く」というのが大切であって仏様に向かって読みやすいのは、「俺が香典を出してやったんだぞ」との「~してやる」の考えであって自己中心的な考えであることを明白にし、香典を出させて頂く、というスタンスですと自然と自分向きになるのでは?とお教え下さいました。

そして故人を弔うの解説では、弔う=訪う(とむらう)であり、こちらから先祖を通して学ばせてもらうということであります。親鸞聖人は、先祖や祖先とは全く申しませんでした。その代り、諸仏と申され仏様の一人になられて私たちを導いてくださるんだ、ということをお話くださったんですね。

最後にお年忌とは普段忘れている「一回性、無常(有限)、単独、無代者」が死のあり方であり、代々の諸仏はそのようないのちのつながりを死を以て教え下さっているのだ、ということを述べられ、今回も終了となりました。


とても興味がわく話題も多く、是非みなさまにもご聴聞頂きたいと思います。是非次回にはご来寺下さいますことを心より願っております。


それでは、失礼します。

南無阿弥陀仏 高山信雄
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Category: 寺仕事

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