浄泉寺様ご遠忌
ついにゴールデンウィークが始まりましたね、ともう二日も前の事にもなりますが。この時期、どうしても交通事故が目立つ気がします。ニュースでの報道でみなさまも周知のとおり、バスの居眠り運転での事故、本当に悲しいことです。遺族の方の無念さが計り知れません

そして28日29日の土曜日日曜日と浄泉寺様のご遠忌のお手伝いに伺っておりました


浄泉寺様と言いますと、久遠寺定例法話会の先生・戸田恵信住職&当山報恩講での説教使をお願いしております戸田信行前住職のお寺でございます。浄泉寺様には以前からずーーーーっとお世話になりっぱなしでどこかでこのご恩をお返しせねば、と思っているところにご住職から「手伝ってくれないか」とのお言葉を頂戴したわけです。そのお役がこの法要の「知堂」といいまして、そのお役のもと、お勤めをさせて頂きました。
この「知堂」という役、法要に際する準備や片付け、そして法要自体のペースメーカーともいうべき大役なのです。ぼくはこの知堂という役の一番下っ端なのですが、ここで頑張らねばいかん!という気持ちで望ませて頂きました

しかし、気持ちだけでは何ともなりません。初日の僧侶の方々30名ほど、参詣の方々も多く、二日目の一番盛り上がる法要には50名を超える僧侶の方々と満堂となる檀信徒の方々で勤められた大法要です。この状態で緊張しないわけはありません


正直ちゃんとできたかわかりません

しかし、法要ではお一人お一人が「南無阿弥陀仏」のおこころをちゃんと耳で聞かれ、ご自分の口から出されていた素晴らしい法要だった気がします。もうこんな法要はなかなか出会えないだろうなと思うほどの大法要でありました


初日のお説教の風景です。二日目はこれ以上の参詣があったんですよ、ほんとに隙間がない状態。これも住職、前住職、また前坊守様や坊守様、寺族一心になって「寺」というものに実直に向き合われた結果なのだなぁと心から思いました。
また後住さま(若様)もこの法要からデビューされ、檀信徒のみなさまに「50年後のご遠忌の為にしっかり勉強したいと思います!」と新たな決意を述べられていましたよ

そして、満座式で最後に住職が言われた言葉「仏徳讃嘆」。寺というものは仏の徳を讃え、伝えていくところ。
改めて僕自身も寺の人間としての自覚を再確認させて頂けた大切な言葉です。肝に銘じて寺に従事していきたいと思いました

二日間もの時間をすべて述べることはできませんが、自分自身にとってとても大切な経験をさせてもらえたことがとても嬉しかったです。このご縁に感謝し、そしてこの経験を今後に必ずつなげるように法耕していきたいと思います

それでは、失礼します。
南無阿弥陀仏 高山信雄



そして、うちの息子も浄泉寺様のご遠忌での稚児行列のご縁を頂戴しましたよ。稚児はなんと370名ほど?親御様ももちろんついてこられるので総人数1000名は軽く超える大行列でした

Category: 寺仕事
平成24年4月の法語

四月の法語カレンダーです。お月参りの時にたまにお勤めしたり、みなさまにお配りしている黄色いお経様の本(P83)にも掲載しておあります。
なんだか説明という言葉もいらないくらいストレートなお言葉かと思います。
いつも通り、言葉から崩してみますと
本願力=本当の願いの力。つまり阿弥陀様の願いのはたらき。私たちを必ず救ってやるぞとの願いが「南無阿弥陀仏」の名号となって私たちのもとに来て下さっていること。
あいぬれば=遇ってしまえば
空しくすぐるひとぞなき=空しく人生を過ぎる人はいない
と解釈はできますね。ここで一つ問題が・・・

遇えなかったらどうしよう?ということです。僕たち人間は心配や不安、悩み、または欲で生きているといっても過言ではないと思います。ここでもやはり、有難い仏様の願いに遇うことが出来なかったら、やっぱり地獄行?とも思ってしまうかもしれません。
けれども、実は仏様の教えは自分のそばにもうすでにきているんですね。気付いていないのは我が身だけ。自分にその願いを感じれる体勢が整っていないだけ。
心配になったら耳を傾けてみませんか。仏様の教えはすぐには聞こえてこないかもしれません。ですが、先に往かれた先祖代々が諸仏となって教えを運んで来てくれてますよ

そうしたら、「本願力にあいぬれば むなしくすぐるひとぞなき」の有難さが少し味わえるかもしれません

それでは、失礼します。
南無阿弥陀仏 高山信雄

Category: 法語と名言
今しがた戻りました

先ほど、通夜から戻ってきました。
今日は御年96歳になられるおばあちゃんの通夜のお勤め。僕自身非常にこころうちが寂しいお通夜でした。
この年代の方は、先代住職から親しくお付き合いさせて頂いている方がほとんど。
僕が久遠寺に入寺してまずお月参りなどさせて頂いたのは、先代住職がお勤め回りしていたお檀家さまがほとんどでした。通常お月参りは、重誓偈と正信偈、五首引和讃がほとんどなのですが、このお宅に限り阿弥陀経、文類偈というのがセオリーでした。なぜかはわかりませんが・・・先代住職に言われるままお手伝いしていましたので

そして不勉強な僕のことです、今でこそ阿弥陀経も文類偈も読むのに20分もかからないくらいですが、当時はものすごく時間がかかりましたし、音もちゃんととれなかったんですね、お恥ずかしいことに

ですからお月参りなのに40分も50分もかかってお勤めした記憶があります。今思うとぞっとする時間ですが、このおばあちゃん「ゆっくりで丁寧にあげてくれて有難う」と言って下さったのがとても印象が強いんです。自分の中で「こんなお勤めじゃいかん!」と思っていた矢先、こんな優しい言葉をかけて下さったことにまた恥ずかしくて次の月までには少しでもうまく読めるように練習しました

それから数年経ってから「あんたも上手くなったねぇ」と仰って頂き、嬉しい気持ちと当時の恥ずかしい気持ちが入り混じった感覚を今でも覚えています。すべてを見守って下さっていたんだなぁとなんだか安心してしまいました。
日常の会話は難聴の為難しいのに、なぜか文類偈を上げる時は、一緒にご唱和される。
昔寺の日曜学校で正信偈を習ったことや、お勤めの度につねにこころからお念仏申されている姿は今目の前にあります。
喪主の息子さんと通夜の前に会うなりいろいろとお話させて頂きました。
「おばあちゃんはあんたのことがお気に入りやったで」
「いつも体を気遣ってくれた言葉、喜んでいたで」
「今日のおばあさん、今まで何万回見たおばあさんの中で一番べっぴんや。いつも見てたんやけどな。」
そう言われるまま、お顔を拝見させて頂くと本当にきれいなお顔をされておりました。
まさに「安心して、もうあとは任せた」という雰囲気が見てとれるほどのお顔。このお顔を見させて頂くと、親族の皆様も何故か悲しい葬儀のはずなのににこやかにされていた気がします

僕自身、この方は祖母と年齢が同じくらいで雰囲気がとても柔らかな方でしたので重ね合わせてみていた気もします。ですからお勤めの最中や、息子さまと生前のお話をしていると目頭が熱くなってしまいました・・

今日の通夜の勤めも、おばあさんは一緒にお勤め下さったかな?
そんなことを思いながら、手を合わせ、安心されたお顔を思うと阿弥陀様の救いは本当なんだな、お浄土も悪くないな、と本当の気持ちで思うことができました

尊いいのちをもっていろいろと導いて下さったおばあさん。これからも導いて頂き、また私たちもそのお導きに耳を傾け開けるようにしますね

それでは、失礼します。
南無阿弥陀仏 高山信雄

Category: 寺仕事
古ーい食器棚
最近はよく雨が降る印象


雨がしばらく降っていたので寺の中を片付けや掃除を入念にしておりました。実はまだ途中ですが・・・・

とりあえず五月が近いので、セッティング!
季節の風物詩として飾らせて頂いております

そして納屋の掃除&片づけも。いつもなんとなく整理はしているのですが、やはり時がたてば不要なものもどんどんでてきてそのまま放置してある場合もあるんです。ですから今納屋をひっくりかえして掃除中。たまにしかできないので今すごくごった返しております


この古い食器棚。戦争を抜けて住職が小さな時から世話になったものだそうです。見るからにボロボロになってしまっております


ものなどは思入れがあればあるほど、大切に愛着が沸いてくると思います。現代は不要なものをすぐ捨てる時代、だからこそ物一つの大切さを吟味したいと思います。もちろん流行りの断捨離(断=入ってくる要らない物を断つ
捨=家にずっとある要らない物を捨てる、 離=物への執着から離れる)を意識しているわけではありませんが、効率よくものを大切にかつ活用できたらいいな、と思っているだけなんです

さぁ、今度はいつ片付けようか、と考え中

それでは、失礼します。
南無阿弥陀仏 高山信雄

Category: 寺仕事
第36号寺報『久遠』編集中!
ただ今、発刊が遅れております寺報の編集真っただ中です


今日明日で編集が終了し、印刷作業をしたらみなさまの手元に順次届くかと思います。
それまでもうしばらくお待ちください


さぁ、やらねばやらねば

それでは、失礼します。
南無阿弥陀仏 高山信雄

Category: 寺仕事