エンディングノート
最近本屋さんやテレビなどでもたまに取り上げられているエンディングノートなるものを購入してみました。

中を開いてみると、
銀行の事、
親戚の事、
友人の事、
墓はどうする?
葬儀の希望、
など様々な項目に分かれていました



その反面、死後まで自分の思い通りにしたい、自分以外に自分のことを任せることができない、そんな気分も感じてしまいました。昔が全ていいとは言いませんが、上記のこと(銀行や親戚、墓や葬儀・・・などなど)はすべて家族の会話の中でされきたように思います。
「通帳はここにあるからね」
「最近会ってないけどあそこはうちの親戚でね、、、」
「学生の頃、仲良かったのはこの子で、今はここにいるのよ・・・」
「私の葬儀は、こうしてほしいなぁ。無理は言わないわよ、希望なんだし・・」
と親子、家族だからこそ話せれたことのように思います。核家族化し、たまにお会いするくらいではなかなかここまでのお話にならないかもしれません。家族が常に一緒だといろいろ問題も浮上してくるのも承知ですが、常に一緒にいるからこそ初めてわかることもありますし、思い出した時にすぐお話ができるわけです。
そういったコミュニケーションを経て今までの先人たちは、私たちにいろいろなものをつないでくださったと思います。60歳なら60年の経験がありますし、90歳なら90年分の体験があるわけです。なかなか一冊のノートには収まりきらない。
悪いとかいいとかではなく、できる限り知識・情報ではないなんのこともない会話が、家族間でできることを願っております。このことは自分自身にも言えますしね

それでは、失礼します。
南無阿弥陀仏 高山信雄

~当山報恩講のご案内~
10月20日土曜日
午後一時より 報恩講のお勤め
午後二時頃 報恩講のご法話
布教使 岡崎・浄泉寺前住職 戸田信行師
午前十一時より お非時(お食事)
午前九時半~十一時半まで 報恩茶会
Category: 寺仕事
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