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真宗高田派久遠寺ブログ  『シュリハンダカ』

愛知県名古屋市中区にある真宗高田派久遠寺の日常をお伝えします!

 

お節介は、愛情=慈悲でした 



今日、親しい方が亡くなり葬儀へ参列させていただきました。

生前は、ことあるごとに何かと世話を焼いてくれ、何から何までも口を出してくれ、そして最後の最後まで心配してくれました。一言で言えば、「お節介」でした、いい意味で(笑)たった十年ちょいのお付き合いだったけど、知らない間に気が許せる自分のおばあちゃんみたいな存在になっていました。

通夜のお勤めは、何だかまだ受け入れていない自分とどうしていいかわからない自分がいて、変に飄々とすることで平生を保っていた気もします。僕の先輩方もこの方に大変お世話になった方々ばかり。熱いものが込み上げてくる先輩もお見えでした。

そんな時「衣着て泣けるっていいな」て思ってしまったドライな自分。寂しいと感じてもどうお言葉をご遺族に発していいかわからない自分。葛藤の中で通夜法話も耳に入らず、「ガラン」とした気分で家路につきました。

そして、今日の葬儀。せめて自分に今できることは参列しながらも、精一杯お勤めすること。
先輩方の熱いものをみて、そう決めてお参りしてきました。

大きな声でお勤めすればするほど、この方のお節介が頭を駆け巡り、何度も泣いてしまいそうになりました。けれどもなぜか「衣を着ているんだ」と意識が働き、抑えよう抑えよう、としているんです。
けれども、そこで頭をよぎったのは、前夜の先輩の姿。「自分の思うままでいいんだ、そのままでいいんだ」と気付いた時には、もうお別れの時。
お花を持ち、手向ける際に一瞬姿を見てしまったら、悲しさの波が一気に来てしまい、絶えることができなくなってしまいました。そして、ただただ手を合わせることだけでした。

この方の「お節介」はまさしくご自身以外への愛情であり、どの人にも平等に接する慈しみの心にほかならない気がします。
そのことをこの通夜と葬儀を通してこの方が教えてくれた気がします。

そして、自分が今後導師となった時に、本当に悲しみをともに「寄り添う」ということの大変さを身に染みて感じました。

本来、葬儀とは自分と近い縁である亡くなった方をご縁に、悲しいけれども「今あるいのち」について問われ、「当たり前」ではないことを知らされます。そして、南無阿弥陀仏(ほとけさまの必ず救うぞとのおこころ」)の教えに遇い、今往かれた人は絶対安心の地・お浄土へ往かれたということを教えて下さる場であります。
けれどもやっぱり悲しい。そこに悲しい中の遺族に仏さまのみ教えをとともに寄り添うことこそ、僧侶の本懐とも思います。

そうした中で先輩たちは、遺族と亡き方の話をしながらも、涙ながらに笑顔になられている、これが寄り添うと言うことか、とそんな姿がうらやましいとも思いました。自分がこれからもっともっと向き合っていかなければならないことを肌で感じ、お教え頂きました。涙ありきの話ではなくて、、、

まだ今は写真のような侘助のように開き切らない自分がおりますが、いろいろな経験を糧にツバキのように開き切れる、皆様と互いに心通ずる「何でも言える、話してもらえるおっさん」となりたいと思います。

最後までこの方が教えて下さった「お節介」に本当に感謝致します。子どもを連れていけば、とても優しくして下さり、すぐになついてしまいましたね。夜遅くなれば帰りの心配をしてくれ、お腹をすいているだろうと思えば、ご自身の夜ご飯にしていたコロッケや春巻きをくれました。遠慮なしでもらってごめんなさい、本当においしかったです。そして、会う度に笑顔で応えて下さる姿に毎度ほっとできる安心を頂戴しておりました。

これからも、心の中でずっと「お節介」をしてくださいね。

本当に今まで有難うございました。

南無阿弥陀仏


※ このことを記事にするべきか迷いました。自分よがりな話と重々承知はしておりますが、ご関係している方々には大変ご迷惑な話かもしれません。どうかお許しください。
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Category: 寺仕事

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おやすみ前の一言 



今日印象に残った言葉。

『縁を育てる』

縁はいろいろ。けれどもその縁をどうするかは自分次第ですよね。
大切に、途切れないように、つなげ、育てる。

なるほどー

そんな言葉を胸に、おやすみなさい

南無阿弥陀仏

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