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真宗高田派久遠寺ブログ  『シュリハンダカ』

愛知県名古屋市中区にある真宗高田派久遠寺の日常をお伝えします!

 

明日は法話会です 

明日は法話会です。

無題


お昼なので蓮の開花は見て頂けませんが、蓮が元気の育っている姿はご覧いただけます。
是非、足を運んで頂き観蓮してもらえると嬉しいです♪

そして、夏本番となってきた昨今ですが、涼しげで爽やかな先生の語り口は、心を穏やかにしてくれます(^人^)


是非、ご都合をつけてのご来寺を心よりお待ちしておりますm(_ _)m


以下、詳細です(-人-)



第42回真宗入門法話会
7月18日金曜日
午後一時半~三時頃まで
「和讃のこころ~ひとくち法話・お浄土~」
布教使 岡崎浄泉寺住職 戸田恵信師


※休憩有
※駐車場6台分有
※聴聞無料

南無阿弥陀仏

Category: 寺仕事

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自我と自己 


《庫裡玄関に咲いているオーシャンブルー》

昨日は、門派有志の勉強会でした。

テーマは「自我ー無意志の力動と宗教体験」

ここでまず「自我と自己」について
自我ー意識の中心。意識と無意識の領域間の調停、現実検討。
自己ー人のもっとも充実した潜在力、全体としての人格の統一性。

宗教のとの関係性は、
人間の一生は、自我と無意識で人格統合する。そして宗教体験は、自我と自己の交流から生まれるもの。

幾つか調べてみましたが、自我と自己。大枠の意味はあっても人によって表現が異なり、しかも難しいんです。
でも一番しっくりきた感じが、
自我‐自分でみた自分、無意識な自分
自己‐自分を他人に通してみた自分

そして、同体でありそうで別個のものでありながら共存していくもの?かと考え中。

けれども、もうパンクです。ひねっても何も出て来ず、勉強不足ですね(-_-;)
ほんの一回の講義で心理学がわかれば苦労しません。けれども何だかこの思考を考えることは楽しいと感じてしまいました。言葉の意味はわからないのですが・・・・・(^^ゞ

そこで基本的な思考として
自我⇔自己であるとし、宗教的にはめると、私⇔阿弥陀仏、機⇔法、など例を挙げて下さいました。


でもやっぱり自我と自己、はっきりわからず・・・・

法語なども自我を謳うものも結構ありますし、実は自分はとっても浅い所でしか味わっていなかったのだろうな、と反省中です。今でも深みには入れませんけれども(笑)

自己と思っていたのは、実は自我であった 安田理深
信の一念に自我が砕かれる 自我は音をたてて崩れる その崩れる音がナムアミダブツだ 安田理深
自己を狂わせ迷わせる敵は 内にある 安田理深

などいろいろ。ここの場面での自己は?信心?悟り?
反対に自我は何を指しているのか?我執?


答えは見つかりませんが、何だか自分や自分の周りを見渡して考えを深めたいと思います。
いやぁ、難しかった(-_-;)たまには身の丈に合わない話は、とても勉強になります(T_T)



南無阿弥陀仏

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