ありがとう
故人は、世間一般からの平均年齢という視点で見れば、とても若い方でした。
だからこそ、悲しい、と感じる弔問の方も多かったと思います。
そんな故人を皆で囲んで勤めた通夜。どんなお話をしていいのか正直迷いました。
どんなお話なら耳に届くのだろうか、そんなことばかり考えてしまいました。
けれども残された縁ある方々が、一番心配されているのは故人の行く先。
行く先は、本当の安心できる場所、お浄土、であるとお話しながら
では残された私たち、縁ある者はどうするべきか。を問いかけました。
弔問の皆様は、それに答えてくれたでしょうか。
夜を通して、自分が出遭った故人のお話をご遺族にしてほしい。
それが支えとなり、寄り添いとなり、今はなかなか受け入れることができないかもしれない生者必滅会者定離の道理を少しでも縁がある方々によって明らかにしていけたら。
この道理を事実として受け入れることは、諦めることではなく、そういうご縁にある、また見えなかったご縁に気付くことができるご縁。それを明らかにしてくださるのだから。
お話を終えて、喪主様ご家族がご挨拶にきてくれました。
偶然にもご主人は、僕と同い年。ついてきたお子様は3歳。
とてもかわいらしい子で、通夜の最中はとてもしっかりお参りしてくれていました。
いろいろお話する内に、ふいにお子様に向かって「おじいさんにありがとうは言えた?」と言ってしまいました。
3歳のお子様は、すごくしっかりしていて「ちゃんと言えたよ」と。
その際、僕自身がこの状況下での「ありがとう」ってなんだろう、と考えてしまい、帰り道にipodに入っている三浦明利さんの「ありがとう」を聞いてみたら・・・
http://miuraakari.com/info/movie.html?m=2
なんだかごく普通の有難う。でもこれを伝えていけたら、と胸が熱くなりました。
普段から伝えれていない「有難う」の気持ち。やっぱり伝えなきゃ。
気付かせてくれたお子様にまず「有難う」を伝えなきゃ(笑)
そんな気持ちにさせてもらいました。
明日は葬儀。しっかりお勤めさせてもらいます。
南无阿弥陀仏
Category: 寺仕事
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