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真宗高田派久遠寺ブログ  『シュリハンダカ』

愛知県名古屋市中区にある真宗高田派久遠寺の日常をお伝えします!

 

法話会が終わりました 

今日は法話会の日でした。
そして只今夜の11時、猛烈な睡魔が襲ってきております。何卒、駄文になることをお許しください。明日目をパチッとしたら再読します(笑)

今日の法話テーマは「人身受けがたし」。

高田本山から出版されている「ひとくち法話」の資料です。
http://www.senjuji.or.jp/hitokuchi/1_9.php#1

第1話 人身受けがたし(にんじんうけがたし) ―誕生の不思議(たんじょうのふしぎ)―
 私が、いまここにいることが、摩訶不思議(まかふしぎ)です。広い地球の、広い日本の、広い三重県のここに、人のいのちを享けて、いまを生きています。
 この父、この母を縁にして生まれてきました。この父が別人だったら、この母と夫婦の契り(ちぎり)がなかったら、私は永遠に生まれてくることはありませんでした。
 この不思議としかいいようのない因縁は、親と子という二世代だけのものではなく、無始以来の先祖までさかのぼっていきます。
 報恩講に拝読する『式文(しきもん)』の中に「盲亀浮木(もうきふぼく)」のたとえ話があります。
 いつも大海の底にいて、100年に1回海面にあがってくるという盲目の亀がおりました。その浮き上がってきた時にたまたま穴のあいた浮木(うきき)にぶつかって、その穴に亀の首がはまったという話です。人間にうまれてくること、ほとけの教えにあうということは、これほどのできごとだというたとえであります。実際こんなチャンスがありましょうか。ありえないということがあったという話です。その証拠が、いまここに生きている私たちであると教えられています。
 『法句経(ほっくきょう)』に
  人の生を うくるはかたく
  やがて 死すべきものの
  いま いのちあるは 
  ありがたし
という聖語があります。
 再び生まれてくることのない私、1回きりのいのちを「どう生きるのが本当か」がわからなくては、永劫(ようごう)に迷っていかねばなりませんと、親鸞(しんらん)聖人はお念仏の教えを生涯説いていかれました。
ひとくち法話No1 ―にんげん1― より

我が身はこういうものである、と明言して下さっております。
その後に、浄土真宗版エンディングノートのお話を聴聞し、さらに家系図を遡ってみては?という質問をかけられました。



僕、親の親まではわかるのですが、その親までは一切わからない。
はずかしいなぁ、と思い知らされました・・・さんざんつながりが、つながりが、と言ってきたのに・・・・(T_T)

皆様は埋まりますか?

また人生の中の四苦八苦についてもお話下さり、皆様とても腑に落ちた感じがしてました(笑)



そして、最後には蓮の話。
蓮には四つの特性がある、と。
・一茎一華
・華果同時
・朝開夕閉
・泥中君子
この4つ、実は念仏そのものを表しているとお教えいただき、実際に妙好人に照らし合わせてお話下さいました。
①自分を見る目が厳しい。
②仏の慈悲を仰ぐ態度が素直
③日々の生活の営みが厳か。
④ぶっきらぼうの思いやり

なるほど。
上の言葉を受けて自分と照らし合わせてみました(笑)

まず生活がぐちゃぐちゃすぎます・・・・
率直に思ったことが言えないタイプです・・・・
なまんだぶつは、ちゃんとお称えします
自分へはとても甘っちょろい気がします・・・・

とまったく妙好人にはなれない僕。
ということがわかりました。

当然です(-_-;)


話は進み、実は私、先日、ご本山でお話してきたときのお話テーマが「蓮」でした。
けれども先生の蓮のお話のまとめ具合がすごすぎて、またちゃんとお説教をするという壁が大きく立ちはだかったような気がします。


ご法話の時間はとても贅沢です。
耳を傾け、我が身はどうだ?と聞ける会。場。人。

とても身に染みる話、なんだか足が向いたら是非お寄り下さい。
そこにはあなたの為の用意された答えがあるかもしれませから・・・・。

余談・・・
川瀬先生のお話を車で聞いています。あくまで川瀬先生のお話・・・

「ひまがあったら法話を聞きに来る?じゃ、こなくていい。飯食って時間に追われてずっとその循環の生活をしなさい。さようなら。もし聞きにきたいなら、忙しいことを辞めてきなさい。仏法は暇の間に聞くことじゃない、暇な状態だとロクなもんじゃない、頭がぼーっとしているじゃないか。頭がキッチリしている忙しいことをやめてこればいい・・・」

びっくりするお言葉(T_T)
けれども根底に、真理は佛、念仏しかない、とのお考えのものだろうな、と想像します。
念仏以外のものは、全てかりものであるという感覚が沸いてきました。

一昔前のお説教は、向かっていくエネルギーが全く違いますね(^^ゞ


南無阿弥陀仏
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Category: 寺仕事

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