10 «1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.» 12

真宗高田派久遠寺ブログ  『シュリハンダカ』

愛知県名古屋市中区にある真宗高田派久遠寺の日常をお伝えします!

 

平成26年11月の法語 

11月法語

「衆生にかけられた大悲は無倦である」広瀬杲先生のお言葉であります。

無倦の倦は、「あぐむ」と読むのですが普段あまり使いませんよね。
辞書を調べてみると、その事をしつづけてもよい結果が出ないので、どうしたらよいかほとほと困る。また、いやになる。もてあます。ということ。

無倦とは、その倦が無い。
つまり飽きず、嫌にならず、しつづけることができる。ということ。

ですから、救いの中にあっても気付かず、煩悩にまみれて、どうにもならない私のことを、「もういいよ!!」なんて言わずに、見捨てることなく救ってくださり続けていること、それが無倦であります。

正信偈さまにもありますよね。
「我亦在彼摂取中 煩悩障眼雖不見 大悲無倦常照我」
我また、かの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲倦きことなく、常に我を照したまう、といえり)

先ほどの説明とほぼ一緒かな、て思ってます。
仏さまの摂取不捨の願い・はたらきの中にあっても、自分自身が煩悩まみれて、遮られて、気付かずにいても、仏さまのおこころは、見捨てることなく、常に私を照らしていて下さっている。


ここまで見捨てず、見守って下さることに心から感謝。
そして、ここまでしてもらっていても、我関せずの姿でへいへいと毎日を過ごしている自分に反省。

ありがとう。



すみません。





そして、おかげさま。


≪寺にもありました、「大悲無倦常照我」。≫


南無阿弥陀仏


スポンサーサイト



Category: 法語と名言

tb 0 : cm 0