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真宗高田派久遠寺ブログ  『シュリハンダカ』

愛知県名古屋市中区にある真宗高田派久遠寺の日常をお伝えします!

 

法話会のご縁 

今日は法話会の日。
朝から子供たちが幼稚園行く前に、雑巾がけをしていきます(笑)
私が小さい時、こんなことをしたことはなかった・・・・えらいなぁ我が子☆





そして、今日で二回目。
お昼に希望者のみでお弁当会。

7名の方がご参加して下さり、一緒に話したり、近くの方同士で話したり・・・・約1時間ほど楽しい時間を過ごして、本堂へ移動。移動してからもいろいろと話をしながら、またここから集まって下さる方もお見えになって、という具合に13時半。

今日は、気持ちがいいから、ということでなぜか本堂の電気をつけずにご聴聞することに。

「この方がきれいに見れるから!」とのお檀家様の声があったのも事実(笑)


そんな中、お勤めをして、住職からの挨拶があり、戸田先生から「凡夫」をテーマにご聴聞。






初めての方を見るや否や、「仏法とはすぐわかるものではありません。何回も何回も聞いていく中で、「あっこれのことだったんだ」と身に染みていくのが仏法です。だから今日は少し難しいかもしれませんが、後半には楽しい話もありますので、そこまでは辛抱して聞いて下さいね」
とお話下さり、初めての方も聞く覚悟が付いたようでした。

一番初めに凡夫とは、何ぞや、と言われた時に
「当たり前のことが、当たり前ととることができない」ものと位置付けられました。

そして、「一念多念文意」からの凡夫の意を抜粋し伝えて下さる。
「凡夫とは、見に煩悩が満ちており、欲望も多く、いかりや腹立ちや嫉みや妬みの心が絶え間なく起こり、まさにいのちが 終わろうとするその時まで、泊まることも無く、消えることもなく、絶えることもない」と、二河白道の喩えに示されている。ということで二河白道の喩えのお話もしてくださいました。

そして、さらに「煩悩」とはなんぞや、ということで
「煩」とは、順境にあってその有難さを知らず、逆境に陥ると愚痴が出る姿をいう
「悩」とは、藕糸(ぐうし)のように、心の悩みは蓮の茎を折っても細かい糸がつながっている如く割り切れず悶々とした心の状態をいう

私たちが普段から喜びとしているのは、世間の喜びである。それは言い換えれば煩悩のよろこびに他ならない。それは長続きしないのである、とお教え下さいました。
本当の喜び、とは長続きする、ということでしょうね。さてそれは一体?

話が進み、一端休憩。

その休憩前にこんなクイズが出されたんです。
「不苦者有智 遠仁者疎人」

さて、皆様おわかりでしょうか。

頭がカチコチな私は、一生懸命白文を読もうとしていたのですが、苦しまざる者は智慧有????わからず・・・
と思っていたのですが、頭が柔らかいご聴聞のみなさまは見事に正解!!

良く気付いたなぁと一言です。私はまったく気づきませんでした・・・・(-_-;)

「ふ・く・は・う・ち お・に・は・そ・と」

なんですね。なるほどーでした(笑)
そんな答えからスタートした後半は、

「私たちの苦しみに原因は、煩悩にある」

として、四苦八苦のお話からサザエさん、そして落語まで幅広くお話を展開して下さいました。


そして、最後に浄土真宗の肝、としてお話下さいました。

「能発一念喜愛心 不断煩悩得涅槃」
信を起こして、阿弥陀仏の救いを喜ぶ人は、自ら煩悩を断ち切らないまま、浄土でさとりを得ることができる

なるほどですね。本当に勉強になります。


私自身いつも「凡夫」という言葉を聞くだけで思い出すことがあるんです。
それは、私が小さい時にお説教に来て下さっていた川瀬和敬先生のお言葉。

「きみらー自分で凡夫凡夫っていっておるが、ほんとうにそうおもっとらんだろう。だいたい私たちの言葉じゃないんだぞ!!仏さんの言葉だぞ!!仏さんが私たちをみて初めて「お前らは凡夫だ」と言ったんだぞ!!凡夫だって如来の言葉なんだ!!」

と声を荒げて言っているのをいつも思い出します。
これを思い出すと、いつも仏法のお言葉、て本当に賜りものなんだなぁと感じるわけです。
我が言葉、知り得る言葉と思っていても、私の言葉ではない。
すべて仏様がわたしたちのことを思い、計らってくれたお言葉ばかりなんだ、と。

今日、改めて「凡夫」を聴聞させていただき、また今後気を付けていかねばと我が心と向き合うことができました。



南無阿弥陀仏

Category: 寺仕事

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