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真宗高田派久遠寺ブログ  『シュリハンダカ』

愛知県名古屋市中区にある真宗高田派久遠寺の日常をお伝えします!

 

居場所 



今日は、上映会。
「みんなの学校」を参加者である親子のみなさまと観賞しました。

すべての子供に居場所がある学校が作りたいと願う大空小学校。
この学校ががめざすのは、「不登校ゼロ」なんです。
ここでは、特別支援教育の対象となる発達障害がある子も、
自分の気持ちをうまくコントロールできない子も、
みんな同じ教室で学ぶんです。

公立小学校であるのですが、開校から6年間、児童と教職員だけでなく、
保護者や地域の人もいっしょになって、誰もが通い続けることができる学校を作りあげてきました。

支援が必要な児童のためだけのものではなく、経験の浅い先生をベテランの先生たちが見守る。
子供たちのどんな状態も、それぞれの個性だと捉える。
そのことが、周りの子供たちはもちろん、地域にとっても「自分とは違う隣人」が抱える問題を
一人ひとり思いやる力を培っています。
この映画は、日々生まれかわるように育っていく子供たちの奇跡の瞬間、
ともに歩む教職員や保護者たちの苦悩、戸惑い、よろこび・・・。を通して気付きをくれた映画でした。

差別、比較、執着・・・・・様々な要因によって
今、社会の中でも居場所が分からない人、居場所を探している人、居場所を作っている人、様々おられます。
大人だけでなく子供さえも居場所がない。

なぜ居場所がないのか。

私は、原因のひとつに「対話」がないから、と思っています。

皆様、『こんにちは』と言ったらどういいますか。
『こんにちは』ですよね。

では『いただきます』なら。
『おあがりなさい』です。

『ごちそうさまでした』は、→『おそまつさまでした』

『おはよう』は、『おはよう』

『おやすみなさい』は、『おやすみなさい』

『いってきます』だったら、『気をつけて』

『ただいま』と言えば、『お帰りなさい』と帰ってくる。

他にも、『ありがとう』と言ったら『どういたしまして』ですし、
『ごめんなさい』と謝れば、『わかったよ、いいよ』と答えてあげる。

日常生活で普通に交わすこの言葉のやりとりは、実は単に言葉のやりとりではないと思うんです。
そこでやりとりされているのは、言葉ではなく、相手を思いやる『気持ち』なのではないでしょうか。
それを『思いやり』といい、『優しさ』といい、『慈しみ』といい、『愛情』といい、『感謝』といい、『反省』と言うのです。

 この言葉のやり取り、相手を思いやる気持ちこそ、本当は世の中を生きて行く上で最も必要なもの。
そのことに気づくこともなく、知らない間に捨て去ってしまった気がするのです。

挨拶することで生まれるのは、対話のスタートライン、人と人とが関わりあう第一歩なのです。
挨拶をきっかけに、対話をし、理解をし、協調する。
そうすることで、初めて場ができ、その人の居場所がわかる、見つけることのきっかけが生まれると思うんですね。

私の子供の幼稚園の園長先生がよくこう言われます。

「おとなが悪い、子供は素晴らしい」

皆様が懸念する社会は大人が私利私欲、差別、比較、執着で作り上げてきたもの。
その概念を子供に押し付けること自体が悪い、子供は純粋無垢。
この子たちを導くのが大人の役目です。
おとうさん、おかあさん、子供たちのことをよくみてあげてぎゅっと抱き上げて愛情をいっぱい注いでください。
そうすると、そこが子供の居場所となるはず。

いろいろと感じさせてくれる映画でした。
参加者の皆様もいろいろ感じてくれたかな、と。


南無阿弥陀仏



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Category: 寺イベント

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