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真宗高田派久遠寺ブログ  『シュリハンダカ』

愛知県名古屋市中区にある真宗高田派久遠寺の日常をお伝えします!

 

想ふ映画館がご来寺☆  

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お檀家さまも来てくださった、お寺の上映会。
数ヶ月に一度、「想ふ映画館」と題して移動上映会を催している主催者にお願いしております。
今回は一部、二部とあり、1日で二回上映しました。
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今回、主催者がチョイスした映画は、「ある精肉店のはなし」
http://www.seinikuten-eiga.com
主催者の上映案内抜粋↓
江戸時代末期より『と畜』の仕事を代々生業とする一家の話です。いきものが食べ物にかわるとき何が行われているのか?
その仕事に携わる人が受けてきた差別等..
わたしは、はじめてこの映画で知りました。。
タブー視されがちだった、「と畜」に向き合った作品。
纐纈監督はこの映画を撮るために、1年半もの間、精肉店の近くに居を構え、地域の生活に密着して撮影に臨んだそうです。物珍しさや差別の問題をことさらに主張するのでもなく、北出家の素敵な家族の日常が描かれています。
上映後、不思議とお肉が食べたくなる、温かく、すがすがしい気持ちになるドキュメンタリー映画です。
皆さんで「いのちをいただく」を考える一日にしませんか?
上映後の副住職からのお話もお楽しみに。。
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お寺でイベントをする際、私は必ず顔出し挨拶をし、お話しをいたします。
そして皆で手をあわせる。
今回何を話したか、と申しますと「殺生」のこと。
仏教での私たちの立ち位置は、仏様でもなく、菩薩でもなく、五逆十悪の衆生という位置付け。
殺生は十悪(殺生・偸盗・邪淫・妄語・綺語・悪口・両舌・貪欲・瞋恚・愚痴)の筆頭であり、こういう罪をする私たちです。
だから五戒が定められているのです。
五戒とは、私たち仏教徒が守るべき基本的な戒律のことなのですが、
1不殺生戒(ふせっしょうかい) - 生き物を殺してはいけない。
2不偸盗戒(ふちゅうとうかい) - 他人のものを盗んではいけない。
3不邪淫戒(ふじゃいんかい) - 不道徳な性行為を行ってはならない。
4不妄語戒(ふもうごかい) - 嘘をついてはいけない。
5不飲酒戒(ふおんじゅかい) - 酒を飲んではいけない
守れているのか。。。。
いやいや、なかなか守れない私がおるわけです。
そして、殺生の中にも3つ種類がある。
自殺→今日の映画の主人公です。自分を殺すのではない、自分が(牛を)コロス→割る。
他殺→他人に殺させること。
随喜同業→焼肉を食べて「おいしいわー」また皮財布をもって「かっこいいだろう」と喜んでいることも殺生。
みな、誰もが殺生しているのですね、だから差別なんてできないのに。
金子みすゞの詩「大漁」
朝焼小焼だ 大漁だ
大羽鰮の大漁だ。
浜は祭りのようだけど
海のなかでは何万の、鰮のとむらい
するだろう。
わたしたちが「どのようにいのちをみているか。」
人間側サイドからみれば、この有様。けれども見方が変わればこうなんですね。
そのいのちをどう頂戴するのか。
親鸞は宴席で出された鳥や魚の肉を前に、一緒に居合わせた僧たちが袈裟を脱いで食べたのに対し、親鸞聖人自身はあえて袈裟を着て食したといわれているんです。
そのわけとは、「今は仏教が廃れた世なので、僧の姿であっても俗人と心は同じだから食する。でも、食べるからには食べられる生類を解脱させたく思い、諸仏解脱の姿を表わす袈裟の格別のはたらきに期待してみようかと思う」
わたしたち僧侶は実際、食事をする際袈裟は外しますね。
でも袈裟のはたらきに任せて、聖人はそのまま食べられたと言われるのです。
が、袈裟がない、ならどうするのか。
いのちを頂戴し、紡いでいくこと。を活かし切るということ。
主人公の方達も牛のいのちを余すところなく、わたしたちが生きるために加工してくれている。
そのいのちに感謝をすること。
それができない、いのちをしらない、知ろうとしないこと、それは私たちはただの「糞尿製造機」でしかない、ということ。
こうして罪を犯しながら生きていかねばならないわたしたちでありますが、感謝することはできる。
「あなたのおかげでこうしていのちを紡ぎ生かせてもらっています」と。
まさしく「生かさせていただく」です。
その気持ちの中には、すみません、ありがとう、おかげさま。があるはず。
そんな気持ちを込めて感謝の「いただきます」「ごちそうさま」をしてください。
そんな話をさせていただきました。
「糞尿製造機」は戸田先生のご法話の中で随分昔に出てきたのですが、どの内容で出てきたか今思い出せないのが辛い。けれどもまさしくこの状態になれば、わたしたちはいくらでも「糞尿製造機」になってしまうのだろうな、と感じてお話いたしました。
イベントは楽しい。
私はいやでも勉強しなくてはならない。
とてもいい時間を過ごさせてもらっています。
南無阿弥陀仏
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Category: 寺イベント

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