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真宗高田派久遠寺ブログ  『シュリハンダカ』

愛知県名古屋市中区にある真宗高田派久遠寺の日常をお伝えします!

 

近所のお寺様へ 



近所のお寺さんで開催された法話イベントへ。
他宗の法話も初めてですし、ここのお寺の若院さんには地元のお祭り=新栄祭りで大変お世話になっている方。
ぜひ行きたいと思いの参加でした。

約45分の法話と質疑応答、その後参加者さんと懇親会。

曹洞宗のお寺様なので最終的には「LETS 座禅!」となったわけですが
「厄年は定期的な自分を見つめ直す車検のようなもの」ということを皮切りに
欲とは何か、三毒=貪瞋痴によりいかにわかっているつもりでわかっていない、みえていない我が身に気がついていないということ。
座禅に向かうことは、自分自身に向かい合うということ。
それには、「調身・調息・調心」が大切であり、順番に整えていくことで、自分を明らかにするということ。

またお釈迦様の教えから、この世は一切皆苦であり、逃れられない苦しみ(=四苦八苦)について解説があり、けれども諸行無常であるがゆえにどうしようもないことであり、どう受け止めていくかということの方法として「座禅」のススメ、となった御法話でした。

わたしとしては、「調身・調息・調心」はとても明快な言葉として聞くことができ、
意識化で整えることができるのは体であり息である。
そこを整えることにより心もおのずと整ってくる、との話でしたが
体のリズムを整えるために規則正しく過ごしていく中で整う実感を感じることができるわけで
けれども、反対に整っていく上でリズムが崩れたら反動も大きく苦しみの元にもなるのではないか、と思いながら、
でも一つの「変わらないこと」に執着するのではなく、身が整うにはどういう体制でいればいいのかと思えば、
やっぱり変化を常々受け入れる体制は必要なのだなと感じて聞いておりました。

でもおそらく座禅ってそういうことをすら受け止めながら
座ることで息を整え整理していくこと、なんだろうと勝手にイメージしております。

では真宗ではどうしよう?
方法としてその場を解決するものはないかもしれないけれども、
やっぱり絶対の安心があるところにいる、ということが何よりも安心でありよりどころになれば
おのずと呼吸も整い、余裕も出てくるのではと思いながら
じゃあ念佛と座禅は一緒かと言われるとそういうものでもないし、やっぱり報謝のお念佛に変わりないのかなぁと。

恩を知り、恩に感謝し、恩に報いる。
それがお念仏かなぁと。

お念佛を喜ぶ言葉といえば、先日聞いた御法話でメモったこの言葉。

つねにいますを佛という
ここにいますを佛という
ともにいますを佛という
この佛を南無阿弥陀佛という
この謂れを聞いて喜ぶを信心という
称えて喜ぶを念佛という

うんうん。こっちがしっくりくる(-人-)

英語でブッダの講師である大來さんも「全肯定」と言われた。
すべてを受け止めてくださる御心をお味わいしたいですね(-人-)

でもでもやっぱりいろいろ頭を巡りながらも楽しく聞くことができ、またその後の懇親会も普段お会いできない方々とお話しすることができ大変貴重な時間をいただきました。

ちょっと何を言っているかわからなくなりましたが
本を読んで知りながらも、耳で聞かせていただくことも大切だなぁと思った1日。



ご縁に感謝。



南無阿弥陀佛
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Category: 寺仕事

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