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真宗高田派久遠寺ブログ  『シュリハンダカ』

愛知県名古屋市中区にある真宗高田派久遠寺の日常をお伝えします!

 

平成22年1月の法語 

みなさま、コンニチワ!

一月はやりだめていることばかりで、なかなか消化しきれずでお伝えできていないこともあります
申し訳御座いません。。。。


平成22年1月 「往生というは浄土に生まるというなり」

201001 一月

まず、「往生」とは何でしょうか。よくこのように使いませんか?「私この前道を間違えて往生したわ」「本当にあの人は往生際が悪い」など、困ったこと、あきらめつかないことによく使われていますね。
しかし、この意味は本当にあっているのでしょうか。実は違うんです。
往生とは、往き生まれることでして、どこに往って生まれるのかといいますと、お浄土に生まれるんです。
お浄土に生まれるということは、どういうことかと考えますと、仏さまと同じところにいく、仏さまが居られるところに生まれるということなのです。『仏説阿弥陀経』には、お浄土が非常に写実的に述べられています。

→全ての苦しみがなく、楽しみだけで、きれいな石垣、並木、池などがあり、また素晴らしい音楽が絶え間なく流れている場所が、お浄土であります。

仏さまはこの場所に居られるのですね。
では、どのようにしたらこのお浄土へ往けるか、となりますね。
それは、どのようなものも救ってやるぞ、俺に任せろ、と言われた仏さまの願い・はたらきをお伝えしたお釈迦さまから代々渡り親鸞聖人まで伝わり、そこでお念仏の教えとして今、私たちの周りにきているわけです。

その仏さまの願いでもある南無阿弥陀仏をとなうれば、とつくづく申された親鸞聖人の願いは、浄土に生まれ往くことでありました。ですから、「往生」とは初めの困ったことやあきらめが悪いことでは決してなく、仏さまの国に生まれ往くこと、という尊いお言葉だったんですね。

みなさまも間違った使い方をしないように、今後の過ごしの中で気付いて下されば幸いです。


それでは、失礼します。

南無阿弥陀仏 高山信雄

Category: 法語と名言

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