01 «1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.» 03

真宗高田派久遠寺ブログ  『シュリハンダカ』

愛知県名古屋市中区にある真宗高田派久遠寺の日常をお伝えします!

 

平成22年3月の法語 

みなさま、コンニチワ!

まだ肌寒い感じはしますが、気持ちいい晴れの下、そろそろお花見を計画されている方もおられるのではないでしょうか?初めは、やはり花見というだけ桜の咲き振りを眺めていても、直に花より団子状態で、目はドンドン地面の方に向いてしまいますねそれもひとつの醍醐味、このあたりだと鶴舞公園、今日の夜は大騒ぎかなぁ


今月の法語カレンダーは『唯信抄文意』から引用されています↓

201003 三月

「『信』はうたがいなきこころなり」

ざっと目を通しますと、信じるって事は疑いないこころのことをだよ、と簡単にご説明されているお言葉のように聞こえます。しかし、みなさん我が身を振り返ってみて下さるとわかりやすいのでは?
他者に信じるよ、自分からいいながら、時間がたてば、状況が変われば、などどこかで疑いのこころを持っていませんか?信じてしまったけど、ちゃんとやってもらえるのかなぁ&信じたけど、きっちり時間に間に合うかなぁ。そんなことの繰り返しが、私たちの「信」であるような気がします。

それでは、この『信』とは誰のどのような『信』なのでありましょうか。
「唯信抄文意」を紐解いてみますと、このお言葉の前後には、

→「唯信抄」というは、「唯」はただこのことひとつという、ふたつならぶことをきらうことばなり。また「唯」はひとりというこころなり。「信」はうたがいなきこころなり。虚仮はなれたるこころなり。虚はむなしという、仮はかりなるということばなり。虚は実ならぬをいう。仮は真ならぬをいうなり。本願他力をたのみて自力をはなれたる、これを「唯信」という。

このようにあります。
「唯」とは、ただひとつのことであり、代わりの信はないということ。絶対無二であります。
虚仮を離れるこころというのは、逆をいえば真実です。真実のこころとは、まさしく仏様のおこころでありましょう。
そして、本願他力を頼み、自力から離れさせていただくはたらきこそ、仏様の願い、はたらきであります。
まとめてしまいますと、仏様のお心こそ揺ぎ無い絶対無二の真実のお心、このお心とは、ただ私たち生きとし生けるもの全てを救ってやるぞ、との願いであり、今私たちに「お念仏」としてはたらきかけてくださるのです。

ですから、仏様の信こそ、唯信と僕は思うですね


また以前、掲示板にも掲載したのですが、この法語を見たときにパッと頭によぎったのが安田理深師のこの法語。

「迷信 そんな信はありえない。自分が自分のこころに迷うんです」

僕たちの信は、やはりどう考えてもこんな感じかな、と思いました。逆に確固たる信というものが私たちとまったく違う場所にあることを教えてくれている法語であるなぁと感じていました。さらに「疑う」ということでは、今回の掲示板法語にも住職がご説明してくださっています。


とは、いってもやはり人を信じることはとても大切ですし、これからもずっと信じて生きたいです。ただ、こういう疑うこころをもっている自分であると知らせてくださるお言葉と聞いてくだされば幸いです。


それでは、失礼します。

南無阿弥陀仏 高山信雄


Category: 法語と名言

tb 0 : cm 0   

コメント

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://kenryuzankuonji.blog47.fc2.com/tb.php/144-38d97209
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)