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真宗高田派久遠寺ブログ  『シュリハンダカ』

愛知県名古屋市中区にある真宗高田派久遠寺の日常をお伝えします!

 

寺の掲示板 平成22年9月24日 

みなさま、コンニチワ!

寺の掲示板も懲りずに更新中です。本来なら自己体験から書くことができたらと思いますが、まだまだ未熟でありますので一向に読み手のサイドであります。住職の解釈のようなこともまだまだできず・・・頑張らなきゃいかんですね


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「私どもはまさに仏様によって人間とは何かを問われているように思います」高史明


住職似顔絵
→仏様に問われているということは、今自分が人と人とのつながり、他の生き物との関係が自分の力で生きているのではなく、他に迷惑をかけずには生きられないと気付かせて頂くことです。そして自分勝手、自分の思いで生きているのではないんだぞ、と覚者からの問いかけであります。まさにそれを知った時、感謝感動を感ぜずにはおれないのではないでしょうか。

高史明さんは、ある中学生のお子さんが自殺をされたことに対して、その親さんが子供に大きな要求をしたことは大きな間違いであったと言われ、次のようなことを挙げておられます。
一、 中学生になったら自分の行為に対して責任をとりなさい。
二、 他人に迷惑をかけないならば、お父さんは一切君に干渉しないことにする

人は他の人に迷惑をかけ助けを頂いてきた。それは人間だけではない多くの生き物の助けを頂いている。それをしっかり知ってほしい。それこそが自分のことを自分で責任をとることの始まりになると先生は『歎異抄』の教えによって今ならこういえると仰っておられます。親鸞聖人や先祖や他の生物の恩を知ることによって、常に自分で生きているつもりの私ではなく、いまこの不思議ないのちを生きていることはどういうことなのか、いつも問われていることでありましょう。人間存在を問われて生きていることに気付く時、我が身のつたなさ、弱さ、高慢さを知らされますのでありましょう。


迷惑をかけたくない、そう言われる方は少なくないと思います。しかし、住職の言葉を読ませて頂いても迷惑をかけず生きていくことは不可能なのですよね?なにがしら、他人様のお世話になっている。これが一番気付くべきことで、一番見逃しやすいことでもあると思います。一度、自分からの着眼点を離れて、他人様目線で物事を見させていただくとより「自分」の姿がぼんやり見えてくるかもしれませんね


それでは失礼します。

南無阿弥陀仏 高山信雄

Category: 寺の掲示板

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コメント

こんばんは。

かなり前の話ですがNHKで昔「高史明さん」の
特集が放送されていて、それを初めて観て
「高史明さん」の息子さんが自分で命を絶ったことを
知ってこんなことがあってんな~としみじみ思いました。

かなり前ですが、それを知って当時、
色々考えさせられたのをおぼえています。

「今自分が人と人とのつながり」

というお言葉に僕はすごい感動しました。
きっと生きれば生きるほど、社会とか人との
つながりがどんどん深まっていくし、
自分で命を絶とうとは思わないし発想しないけど、

それは僕のただの独りよがりな意見ですね。


川上 顕司 #RSkupkvc | URL | 2010/09/26 16:43 [edit]

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