11 «1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.» 01

真宗高田派久遠寺ブログ  『シュリハンダカ』

愛知県名古屋市中区にある真宗高田派久遠寺の日常をお伝えします!

 

平成23年12月の法語 

みなさま、コンニチワ!

明日から12月。なんだかあっという間に年の瀬ですね。みなさまは大掃除やお正月の準備はいつから始められますか?僕も予定しておかないとどんどんギリギリになって焦らないようにしたいと思います

201111.jpg

11月の法語は「心を弘誓の仏地に樹て、念を難思の法海に流す」です。
いつも通りでありますが、このお言葉の前後を見てみますと、「慶ばしいかな、心を仏地に樹て、念を難思の法海に流す。深く如来の矜哀を知りて、まことに師教の御厚を仰ぐ。」とあるんです。

親鸞聖人が慶ばれていることが今回の法語であることがわかりますね。ですが主語がありません。何かなと推測しますとだいたい察しがつくと思います。阿弥陀様か親鸞聖人か。主語を親鸞聖人にいたしますと、ご自分がご自分の心を仏地に樹て、ご自分がご自分の念を難思の法海に流す、となってしまいます。とやっぱりおかしく感じますよね。やはり、ここでの主語は阿弥陀様。阿弥陀様が私たちを救ってやるぞ、との大きなはたらきによって我が心を揺るぎないものとして下さる、すべてを流してくださるということだと思うのですね

ですから、付け足しながら訳してしまいますと
「喜ばしいことに、阿弥陀様が私の心を揺るがない仏様の願いである地に根をはらせて下さっている、そして私の安定感のない思い、煩悩だらの思いを想定することが出来ないほど広大な教えの海に流してくださるのです、という感じですかね

なんとなくイメージ沸きます?

続くのは、上記のことによって阿弥陀様の私たちに対するあわれみの心を知り、それを伝えて下さった先々の方々の教えに感謝し仰ぐ、ということが述べられているのです

私たちのこころは、絶対不変のようにも感じますが、常に変動、変化しているばかりです。そんなこころを阿弥陀様のはたらきによって絶対の安心を頂戴することができる。そのはたらきこそ南無阿弥陀仏であるんですね


こんな有難いお言葉、なかなか意識することは難しいですが、手を合わした瞬間くらい仏様にお任せしてもいいのではないでしょうか?



それでは、失礼します。

南無阿弥陀仏 高山信雄

Category: 法語と名言

tb 0 : cm 0   

コメント

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://kenryuzankuonji.blog47.fc2.com/tb.php/470-dfa0aa9b
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)